鞍馬天狗

夢寐のたわごと

気の毒な王様

ある日、歳をとったある国の王様が、ふと今までの生涯を振返って考えました。

兎(うさぎ)追いし かの山
小鮒(こぶな)釣りし かの川
夢は今も めぐりて、
忘れがたき 故郷(ふるさと)

この王様の故郷は、どこだろう? この国、そのものが「故郷」? でも、実感がありません。 うさぎ追いし、かの「山」はどこ? 小鮒釣りし、かの川は、どこ? 第一、一緒に遊んだ友達が、思い出せません。 そんな友達は、いたかどうかもハッキリしません。

この王様には、忘れがたき故郷なんて無いようです。 子供の頃、周囲にいた人達は、全部、友達ではなく「臣下」という、仲間じゃない、この王様に頭の上がらない人達でした。 大事な家内ですら。臣下だったのです。

この王様には、友達と一緒に騒いで遊んだ記憶はありません。 友達そのものが居なかったからです。 年をとってからも、仲間は出来ませんでした。 従って、居酒屋で、仲間と一緒に、一杯飲みながら、焼き鳥を食い、時を忘れるまで、談笑した記憶もありません。

この王様にとって、楽しかった記憶も、悲しかった記憶も、みんな借り物の感じがしていたようす。 この王様にとって、自分そのものが自分じゃなかったようです。 実感! 自分という実感がなかったのです。 王様は、自分の生涯を誰かから「預かっていた」ように感じていました。 思いを巡らせる「夢」がないのです。

寂しく、孤独な生涯でした。

過信

「老人を過剰介護してはいけない。 老人の自らの力を尽くそうとする力を削いで(そいで)しまう」と言う主張をよく聞く。 なるほど、そう言われてみると、尤もなような気もする。 だが左にあらず。 過剰に介護されなくとも、過信は生まれる。 過信は、外発的なもので無く、内発だからだ。

老人にも、「意地」がある。 老人にも、他人から働きかけられると、「なに糞」、「こんちきしょう」、「負けるものか」と言う気持ちが働く。 この気持は、労られる(いたわられる)からではない。 労られなくとも、「やってやろうじゃないか」と言う気持ちが働く。 出来もしないことにも、挑戦してみようと言う、「若気の至り」が顔を出す。 そう言えば、老人は正に、「若者の至った」存在である。

老人の自動車運転の危険が、取り沙汰されている。 老人の体力も、知覚も衰えている。 だから、出来もしないことに挑戦して、自分の、そして他人の命を危険に晒すことになる。 自転車が、自動車に挑んでも勝てる筈がないのは、誰が考えても当然である。 しかし、その事実をあからさまに、若者に指摘されると、老人の「矜持」が許さない。

「汝自身を知れ」と誰かが言った。 「身の程を知れ」と無礼な言い方をする奴も居る。 「そんな事は、解っている」。 だから、老人は、いくら窮屈でも、止むに止まれぬ「意地」を通したい。  若者の老人介護(労り)は、目に見える、かつ、肌に沁み込む「老人侮辱」である。 形を変えたパワハラであり、差別である。

「過剰介護をしてはいけない」なんて、尤もらしいことを云うな。 そんな事は、「百も承知」。 その事実が、「尤も」と肯んぜざるを得ないからこそ、なおさら腹が立つ。 それ以上の侮辱は、言ってくれるな若者よ。 言えば、ますます老人は、意地を張る。 では、どうすれば良い。

「あからさま」がいけない。 当たり前が、いけない。  汚いものは、見たくない。 誰が、老人の「皺肌」、「禿頭」を美しいという。 それを見せつけるな。 自然は残酷である。 その残酷さの指摘が。「意地」につながる。

偽薬(プラシーボ)

プラシーボPlacebo)の語源はラテン語の「I shallplease」(私は喜ばせるでしょう。) に由来しているそうです。 そこから患者さんを喜ばせることを目的とした、薬理作用のない薬のことを指すようになったのです。 通常、医学の世界では乳糖や澱粉、生理食塩水が使われます。

・・・・・・・(ウェイキペディア)

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偽薬(ぎやく)は、本物の薬のように見える外見をしているが、薬として効く成分は入っていない、偽物の薬の事である。成分として少量ではヒトに対してほとんど薬理的影響のないブドウ糖や乳糖が使われることが多い。プラシーボ(英語: placebo

・・・・・・(ウェイキペディア) 

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ざっくり : 

1. 力を込めて一気に切ったり割ったりするさま。 大きく切れ目を入れるさま。

2. 深くえぐれたり、大きく割れたりするさま。

3. 大ざっぱなさま。全体を大きくとらえるさま。おおまかに。

 。金・米・砂などを、大量に、また、無造作につかんだりすくったりするさま。

 。上着などを無造作に着るさま。

6. 編み物などの、編み目や手ざわりなどが粗く厚みを感じるさま。

出典:デジタル大辞泉(小学館)

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バイブル商法バイブルしょうほう)とは、健康食品や代替療法に関して、その効能、理論、体験談等を書いた本(通称「バイブル本」と言う)を実質的な広告にして医薬品医療機器等法の規制を抜けようとする商法のこと。 ステルス(stealth)マーケティングの一形態である。

・・・・・・・・・・(ウイキペデア)

 

我々には、説明するのがややこしくなってきたり、考えるのが面倒臭くなってきたりすると、「ザックリ」説明したり、理解したりする傾向が誰にもあります。 そのほうが、労力(努力=思考)の節約になるからでしょう。 

 

患者は、病気を治したいと願っています。 薬屋は、薬を売って、儲けたいと願っています。 患者も薬やも、結果の実現を願っているのです。 その結果をもたらす手順やプロセスには、あまり関心を持たないのが普通です。 治して貰えると思えば、お祈りでも、信心でも、メリケン粉でも、御札(おふだ)でも、なんでも良いのです。 役立つものが欲しいのです。

 

薬やサプリメントの広告に、よく「これは特定個人の経験です」と言った意味の但し書きが付けられています。 薬やサプリメントを売る側は、お金を目当てにしています。 薬やサプリメントを求める側は、効果を期待しています。

 

広告に、「XXX先生推奨」、「スラッとした美人の姿」、「XXX大学研究成果」などとあれば、元々ややこしい説明を聞きたがらない消費者は、ザックリと簡単に、広告に釣られます。 そのことを知っている釣り人は、「バイブル商法」を振りかざします。 こうして巨大なマーケットが生まれ、資本主義経済は成立します。

 

農民や工人(労働者)は、(作)物を生産します。 商人は、そうして生産された物産を流通させます。 武士(政治家、政府役人=官僚、経営者)は、禄(物品)を食みますが、何も生産しません。 それでも、資本主義経済は商人の力で動いています。 

理知的理解と実践

人間には、理知と感性があります。 通常、この2つのものは、一体となっています。 従って、事に及んだ場合、理知的にだけ振る舞うことは不可能です。 当然、感情も作用します。 そこで、「泣いても、馬謖を切る」のでしょうか? それとも「馬謖を許す」のでしょうか?。

物事を、理解するは出来ます。 しかし、「どうするか?」は別の問題です。
孟母三遷と言います。 孟母は、明らかに賢い女です。 しかし、三遷となると話が違います。 借金はありませんか? ご近所との柵(しがらみ)は、どうなりますか?

状況に対応すると言います。 状況対応が必要なことは分かります。 しかし、「どう対応するか?」は、別の問題です。 対応の仕方は、自分の都合、相手の事情、周囲の状況、親や先生、そして仲間の意見、などを勘案して決まります。 実践は、理知だけの問題ではないのです。 人間行動は、「科学的」にだけで、処理出来ものではありません。

人間行動の実践には、感情がまとわりつきます。 心のパニックも、怒りも、悲しみや父母を失った直後の嘆きも、思いやりや、上司、仲間。両親、嫁や婿の両親、ご近所の人達の気持ちの忖度も、貰えるやも知れぬ賄賂や贈物の高も、物事の実践には、関わってきます。 人の感情は、変転します。 時間も、時の事情や流れも、近頃はマスコミの動向も、世間の評判も、社会全般の趨勢も、全てが物事の実践には関わってきます。

浅学、浅見ですが、朱子学は理論に傾き、陽明学は実践を重んじたと聞いています。 そして陽明学が攘夷勤王の後ろ支えになり、三島由紀夫の過激を導いたとも聞いています。 実践は大切ですが、出来もしないことを、実践しようとするのは無謀です。 無謀な理性の働きに手綱を掛けるのは、深慮遠謀です。 深慮も、理知の賜物です。

理性と感情、両々相俟って、事は成し遂げられます。 これは「ありきたり」です。 その「ありきたり」こそ、全体としての庶民の感情と理性です。 この庶民の総意、これが今必要とされています。 政治家や事業家(企業経営管理者)の悪知恵は、理知ではあっても役立たないばかりか、害になります。 

易(便利)に溺れるなかれ

便利なものには、何でも副作用を齎す傾向があるが、便利なものは、特定目的に限って便利なので、副作用があることを忘れてはならない。 車椅子は、基本的に歩けない一日中座乗生活する人には、あっちこっちへ自由に動けるので便利だが、半分(少し)歩ける人には、危険である。 理由は動くからである。 立ち上がり動こうとする度にストッパーを掛けていないと、車椅子は動く。 そしてブレーキを掛け忘れると、易々とずり落ち,思わぬ怪我をする。

パソコンのワード利用もそうである。 手紙など、書いた上で、容易に文字を消したり、書き直したり、後で書き加えたり、かつ、書いたまま先方へ文章を送達出来たりするから極めて便利であるが、反面、利用者の方で、字が下手になり、「遺言」を書いても、遺言にならず、貸し借りの「証文」にもならない。

ボールペンや筆、ペンで書いた手書き文書は、証拠として扱われるそうだが、近頃は、消す事のできるボールペンが発明されているから、消すことが出来るのも、痛し痒しである。 お役所の方々もさぞや頭を抱えていることと思う。 やはり面倒だが、筆やペンの手書き文書の書き方を習うべきなのだろう。

その辺を考えて、政府は「マイ・ナンバー」なる鬱陶しいものを国民一人一人に付けようとしているが、これにもまた副作用がある。 これがために全国民が政府の監視下に置かれ、どこかの国のように、国民の言論の自由が失われ、民主主義が破綻し、独裁が生まれる。

AI(アーテフィシアル・インテリジェンス)の出現も、その様な危険を予想させる。 将棋の世界に於けるようにアーテフィシアル・インテリジエンスが、ナチュラル(ボーン)・インテリジェンス(BI)に対抗して、BI(ボ~ン)が負けるという事態にもなりかねないが、人間は「停電」を起こして、AIの息の根を止めることもできる。 これには、もちろん、自家中毒がある。 人間の側でも、生活が暗くなり、電気釜も動かず、飯も食えない有様へと転落してしまう。

「禍福糾える(あざなえる)縄の如し」とは、正に名言。

 

深読み

「物は言いよう」とは、良く言ったものだ。 その様な「詐欺紛い」の表現が近頃は、世間に溢れている。 マスコミと行政が、それの宣伝、拡大に一役買っているから、始末が悪い。 昔は、「穿つ(うがつ)」と言った。 ものは、穿ってみると(深読みしてみると)、根性悪かもしれないが、裏がよく見える。

「老人ホーム」! 体のいい養老院。 いや、何のことはない姥捨て山。 おまけに「介護付き!」?  介護と云う名の「監視=お節介」付き!  なんだって? 「有料?」。 実は、金を払っての厄介払い?  これを重ねて、「お金を払うから、家(うち)の厄介者の終身の始末(監視)をお願いします!」。

敬老? そんな言い草もあったなぁ。 高齢者、身体障害者とは、通勤時間帯でなくとも、公共交通機関では、乗車を遠慮して貰いたい邪魔者。 糞食らえ! 優先席(プライオリテイ・シート)とは、邪魔者用別席。 一層のこと、社会から、出来るだけ早く消えて貰いたい人達。

「後期」高齢者? つまり、税金も払わない、年金生活の役立たずの爺ぃと婆ぁ。 ますます始末に負えない寝たっきりで、場所塞ぎで、非生産的な「(手のかかる)よいよい」。

大臣諸侯、政治家(国会議員、地方議会議員)、企業経営者、労働組合諸幹部。 は、形を変えた大型悪徳漢。 税金を無駄遣いし、個人どころか、国民全体、労働者団体の目を晦ます嘘つきの悪徳漢。

JR中央線水道橋駅エレベーターを降りて、タクシーの運ちゃんに神田神保町へ行ってくれと云うと、「真逆ですね」と言った。 内閣総理大臣も、国会議員も「真逆」と言う言葉を使う。 穿つ訳ではないが、昔なら、そして普通の日本語なら「正反対」と言う。 穿ちたく成る世間に変わった。  犯人はNHKのキャスターか?

スーパーセンチュリアン

人生は、0歳から100歳まで、ストレッチ(伸ばされる)されるようになってきた。 論語孔子)に言う人生の節目、「30にして立つ」、「40にして惑わず」も、2,500年のホコリを叩いて、書き直さなければならない。

スーパーセンチュリアン(100歳を超えた人)が語られるようになってきた。
日本は世界一長寿国だそうである。 人間の寿命は、ストレッチされている。数年を経ずして、我が国こそスーパーセンチュリアンが続出する可能性の見える国になる。 寿命(生涯)のストレッチと共に人生の節目もストレッチされねばならない。 人生(生涯)のストレッチングは、人生の終末を遅らせ、幼児・児童の就学年齢を早めることに繋がる。 だが、現在の介護付き有料老人ホーム・システムはもちろん、社会のあり方を維持する限り、その望みは薄い。 

 

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人生の節目
「われ十五(15才)にして学(学問)に志(こころざ)し」
「三十(30才)にして立つ」(学問で自立できるようになった)
「四十(40才)にして惑(まよ)わず」(いろいろな迷いがなくなった)
「五十(50才)にして天命を知る」(天が自分に与えた使命を知った)
「六十(60才)にして耳順(したが)う」(どんな人の話も聞けるようになった)
「七十(70才)にして心の欲するところに従(したが)っても矩(のり)をこえず」(心の思うままに行動しても人としての道をふみはずすことがない)

論語孔子
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時代は動いている。 16歳の藤井氏は、将棋の世界で7段にまで上り詰めた。
藤紀さんは16歳で、アイススケーテイングで金メダルをとった。 若手が続々と人生の階段を早足で登ってくる。 人生がストレッチイングされていると共に、動きが激しくなっている。 「少年、老い易く、学成り難し」の時代は、古くなった。 少年の伸びは早い。 老人の死は遅い。 

「フレイル」という医学界の言葉がある。 フレイルとは、英語の「虚弱」を意味する「frailty」を語源とする言葉だが、その老人医学的意味は:―


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健常な状態と要介護状態(日常生活でサポートが必要な状態)の中間の状態として、日本老年医学会が2014年に提唱した。  多くの高齢者は健常な状態から、筋力が衰える「サルコペニア」という状態を経て、さらに生活機能が全般に衰える「フレイル」となり、要介護状態に至る。


フレイルの基準には、様々なものがありますが、Friedが提唱したものが採用されていることが多いです。 Friedの基準には5項目あり、3項目以上該当するとフレイル、1または2項目だけの場合にはフレイルの前段階であるプレフレイルと判断します。
1,体重減少:意図しない年間4.5kgまたは5%以上の体重減少
2.疲れやすい:何をするのも面倒だと週に3-4日以上感じる
3.歩行速度の低下
4.握力の低下
5.身体活動量の低下
フレイルには、体重減少や筋力低下などの身体的な変化だけでなく、気力の低下などの精神的な変化や社会的なものも含まれます。 次に、フレイル状態に至るとどのようなことが起きるか説明します。
健常な段階からフレイルを予防するには、生活習慣病の(進行)予防をしながら、運動機能・認知機能の低下を防ぎ、社会的に関わりを保ち続けることが大切です。


持病のコントロール
既に糖尿病、心臓病、腎臓病、呼吸器疾患、整形外科的疾患などの慢性疾患がある場合には、まず持病のコントロールをして、悪化させないことが大切です。持病の治療がうまくいかず、運動が制限されたりさまざまな症状が現れると、体を動かしたがらなくなったり、身体機能が低下してしまうこともあります。 負担にならないような持病コントロールの方法を教えてもらうなど、医師や薬剤師とうまく連携して、現在の状態を維持・継続しましょう。


感染の予防: 
高齢者は免疫力が低下していることが多く、インフルエンザや肺炎にかかりやすいといわれています。 インフルエンザや肺炎が重症化して入院すると、免疫力の高いときなら問題にならない体内の常在菌による感染症にかかるなどして、そのまま寝たきりになってしまうこともあります。 以下のような方法で、感染症を予防しましょう。
・適度な運動やバランスのよい食事などにより免疫力を高める体作りをしておく
・基本的な手洗い・うがいなどの清潔保持を行う
・インフルエンザワクチンなどを接種する
誤嚥性肺炎による肺炎を防ぐため、しっかりと口腔ケアをする


日常生活に運動を:
生活習慣病を予防したり、運動機能を維持するためには、日常生活で運動習慣を取り入れることが大切です。 特に筋力や筋肉量は、高齢者がサルコペニアの状態になっても、適切な運動や栄養摂取により比較的短い期間で取り戻しやすいといわれています。

日常生活の行動に、少し運動を取り入れたり、歩く時間や距離を伸ばすなどして、毎日続けられる方法を、少しずつ始めましょう。 ロコモティブシンドロームを予防する方法によっても、足腰の筋力を向上・維持し、バランスを保つことで、フレイルを予防し、その進行をおさえることができます。


バランスのよい食事を:
低栄養は、フレイルを起こす最大の要因です。 高齢者になり、食が細くなって、満腹感があっても栄養が十分に摂れていなかったり、さっぱりしたものばかりを食べて、体を維持するために必要な栄養素が不足したりします。 特に一人暮らしの高齢者は、食事の品数も減り、食べる食材も偏り、食欲が低下しがちで、低栄養状態に陥りやすくなります。

また、運動して運動機能を維持するにも、体をつくる栄養素(たんぱく質やカルシウムなど)が必要です。 低栄養の状態で運動を行っても、さらに低栄養状態を助長してしまいます。 さまざまな栄養素をバランスよくしっかりと摂取して、低栄養状態に陥らないようにしましょう。


口腔・嚥下機能を保つケアを:
加齢とともに歯が抜けるなどして噛みづらくなると、硬い食材が食べられなくなったり、口の中でうまく飲み込める状態にならなくなります。 また、加齢に伴い飲み込む力(嚥下機能)が弱くなると、食べものや飲みものが気管に入る「嚥下困難」が起きることもあります。

食べづらくなるにつれ、食べるのが嫌になり、低栄養を起こすこともあります。 入れ歯など、口の中を噛みやすくしておくケアをするほか、飲み込みづらさがあったらそのままにせず、嚥下機能を保つリハビリをするなど、食べる機能を低下させないようにしましょう。

 

社会とのつながりを:
高齢になると、社会的地位や家族の役割が変化したり、家族や友人を喪失することで、気力や活気が失われてしまうこともあります。 外出する機会や気力が失われ、家に閉じこもりがちになると、身体的フレイルへと進行することも少なくありません。
趣味のサークルなどで新たなつながりを作ったり、地域のボランティアなどで貢献する役割を担うことで、人との関わりを保ち続けることは、身体的、精神心理的フレイルの進行予防になります。

お勧めしたいのは、誰かと一緒にごはんを食べることです。 家族や友人と一緒に食事を摂る(共食)と、コミュニケーションをとりながら楽しく食べられるうえ、食欲が高まり、多様な食材を食べられて低栄養になることも避けられます。 身体的・精神心理的・社会的フレイルの全てを予防できます。

介護予防の観点では、高齢者ご本人や、身近にいるご家族がフレイルという状態を知り、介護状態へと移行しやすい危険性をはらんでいることや、どのような状態がフレイルにあたるのかを知っておくこと、フレイルを進行させないための日常的な配慮を行っておくことは有用です。
身体面だけでなく、日常生活のすべてが健康にかかわるものと捉え、フレイルの概念をうまく使って、日頃から介護予防に取り組んでいただければと思います。
日本老人医学会
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介護付き有料老人ホームの現状では、フレイルを免れるは至難である。 そもそも、介護付き老人ホームは、家庭(家族)では面倒の仕切れない、例えば、認知症患者、ボケ老人、など、いわば「傷もの」の老人が入居せしめられる。

「フレイル」を免れる一つの条件は、社会的な繋がりを持つこととであるが、傷ものの「寄せ集め」の世界では、「社会」そのものが成立しない。 勢い外部との接触が必要になるが、通常、「介護付き」老人ホームでは外部との接触は、閉ざされている。

いわば家庭での「厄介者」を囲っている老人ホームで、フレイルを論じること自体が、バカげたことなのである。 スーパーセンチュリアンは、老人ホームに閉じ込める訳にはいかないのである。 唯一つ救いは、インターネットを利用して、スーパーセンチュリアンを外部と繋げることである。

ともあれ、老人ホームの現状は、スーパーセンチュリアンを入居させるのには、それどころか、社会全般の現状が、スーパーセンチュリアンを生活させるのには、向いていない。 スーパーセンチュリアンも老人である限り、体力的には、衰えている。 それにもかかわらず、雨の日、雪の日、風の日、などを考えると、運動からは遠ざかり易い。 しかも、独り者であることの蓋然性が高い。 ところが、市販の惣菜などは、一人分で売られる可能性は低い。 従って、食事の準備もなおざりになりがちである。

自然(天)は、スーパーセンチュリアンの存在を可能ならしめているにもかかわらず、スーパーセンチュリアン(老人)のためのフレイル防止手段「持病のコントロール(医療)」、「バランスの取れた食事」、「「社会的連携」などは、いずれも、人為で果たし得る事柄である。 言い換えれば、人為が自然の恵みを阻んでいると言えよう。 この自然の恵みを阻む人為の主犯者は、明らかに「行政」である。

世の中は変わっている

我々は、既に覚えたことをベースに先を考える。 それ以外に考える為の根拠が無いからだ。 だから、梅干しは酸っぱく、ミカンも酸っぱいと思う。 砂糖は甘く、蜂蜜も甘い。

今朝、甘いミカンを食べた。 今まで、敬遠してきたミカンをこれからは食べよう。 技術の進歩が見られるのは「自然科学」に於いてばかりではない。 農業に於いても、技術の進歩はある。 そう言えば、養殖したマグロも出回る時代になってきた。

泥棒が、捕り手に追っかけられて、「命あっての物種」と逃げる時代も変わっている。 「命は、正に物の種」。 命は、全ての物の出発点。 動物のみならず、植物も、命は、この世界の始まりである。 世間の認識も。それに合わせて、変えねばならない。 「温故知新」は、古い。 考える根拠を、他に求めよう。

我々の思考の根拠の出発点に、命を据えよう。 ゼロから始めよう。 「空」が思考の出発点だ。 「色即是空」と言うではないか。 見るもの、聞くもの、触るもの、舐めるもの、体感が思考の根拠になる。 既成観念も、固定観念も、是空の気持ちで捉えよう。

ある感懐。

あほらし!

ある老人ホームに住む不眠に悩む高齢者。 その老人ホームに住むある老人が、寝付きが良くなるように、医者に頼んて「誘眠剤」を処方して貰っていた。 ところが、高齢者と言えども人間である。 いや高齢者なら尚更ということもある。 ある晩、その老人が、折角処方して貰った誘眠剤を呑むのを忘れて眠ってしまった。

老人ホームでは、夜中と言えども、不時の事態に備えて、入居している老人たちを介護する必要がある。 必要どころではない。 「介護」は介護へルパーの基本的職務責任である。 特に、介護付き有料老人ホームでは、基本的職責どころか、入居老人たちの介護は家族より有料で介護を委託されて(契約して)いる。

従って、担当へルパーの夜間の基本的職責の遂行に当たっては、微細な事柄についても、翌日、上位者へ夜中の出来事を報告しなければならない。 その晩、当番に当たった介護へルパーは、夜中巡回中、その老人が誘眠剤を飲まないでスヤスヤと寝ているのを発見した。 一大事!?  そのへルパーは、寝ている老人を叩き起こして「誘眠剤」を服用するように促した!!