鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

部下(後輩=子供)の育て方

主体性の確立した部下(人間=子供)を育てる方法(相手が読み書き可能で、分別があることを前提に)として、次のようなやり方があります。

 

  • 取るべき行動(仕事=課題)のジャンル(分野)を示す。
  • 行動を取ること(仕事=課題を進めること)を委嘱(委託)する。

 

この様に仕事(課題)を委託されると、仕事(課題)を委託された相手は、その仕事(課題)の目標を自分で設定せざるを得なくなります。 以前にも、私のブログで12回以上も言及していますが、主体性と自立性(自律生)とは違うのです。 そうして、今後に望まれる人間像は、単なる自立的(自律的)人間ではなくて、「主体性」の確立した人物です。

 

主体性の確立した人は、まず、自分の置かれている状況を暗中模索し、その上で、状況を判断して、取るべき行動の目標(方向)を定めます。 目標が設定されたら、積極的に、その目標に向かって行きます。 部下が居るときには、その部下たちを、目標へ向けて連れれて、ないし、尻押して行きます。

 

人間は、結果としての火の粉を自分が浴びる、と分っていると、仲々リスクをとろうとはしません。 結果を予知しているとは、目的を予め知っていることでもあります。 事前に目的を知るためには、殆どの場合、その目的を自分で立てていなければなりません。 自分の行動の目的を自分で設定することと、行動の目的を他から与えられることとは違うのです。

 

自分で目的を立てるとは、自分で「方向付け」をすることです。 この点での大切なポイントは、方向付けを自ら行うか、他人(例えば、上司、リーダー)に依って与えられるか の違いです。 ちなみに、リーダー(上司=親=先輩)が、部下(後輩=子供)に目標(課題)を示す場合の大事なポイントは、企業内教育でも言うことですが、Capacity Stretching Assignments(相手の能力を引き伸ばす様な仕事=課題の割当)という、いわば「極意」です。

 

では、纏めてみましょう。

  • 相手(部下、後輩、子供)に、自分の行動目標を設定するように仕向ける。
  • 相手の成長の具合を見計らいながら、成長の具合に応じて、相手のその時点の能力の程度に合わせて、相手の目線が漸く届く程度の少し高目のところに目標を設定して、その目標にむけたて仕事(課題)を遂行させる。

 

以上が、私が、このブログを通して、推奨する相手(部下、後輩、子供)育成の方法です。 なお、二番目のステップについては、故ポール・ハーシイ博士が提唱した「状況対応リーダーシップ」と言う名の技法が存在します。

外出(外遊)の功徳

外出(外遊)という行為は、人間成長に必要な要素の多くを総合的に含んでいる。 外出を礼賛しよう。 

 

  • 生まれて間もない赤ん坊なら、自分の周囲、つまり家族という未知の世界を探索して周り、新しい経験を得る事ができる。
  •  今少し大きくなれば、隣近所を探索し、住む地域の詳細を知ることができる。 
  • 更に大きくなって、成年(青年)に成ったら、国外へ飛躍し、世界を冒険すると、リスク(危険)と共に、新奇な風物に馴染むこともできる。 
  • 老年に達したら、外出に依って、体力を養い、知力を涵養することができる。

 

青雲の志は、外向きである。 意気に感ずる人生も、外向きである。 内向けば、息詰まる。 外にこそ、羽ばたく世界と空気がある。 

 

室内、屋内で散歩しても、目指すべき宛がない。 宛のない旅は、夢遊であり、徘徊である。 外へ出れば、「欲しいもの」や「新奇な、見たいもの」に出食わす事もできる。 金さえあれば、買うことすらもできる。

 

人間は、死ぬまで、成長し続ける。 成長の最終点が「死」である。 だが、成長は、祝うべきだ。 「門松(正月)は、死出の旅の一里塚」⬅ ある坊主

認知症患者との交流

今朝のテレビ番組で、東京のあるレストランにおいての、認知症患者を中心にしたレストラン運営の試みを映していた。 認知症患者のウエイター(?)の配膳が、無茶苦茶になっても、配膳中に彼等がお客さんのテーブルへ座り込んでも、「まあ、いいか」とこれを笑い、かつ許して、和やかな雰囲気を作り、認知症患者が一般社会へ溶け込んで行くのを助ける試みである。

 

「笑い、許して」、認知症患者の社会への溶け込みを「助け」ねばならないほど、このことは、難しいことなのである。 おおらかな気持ちを持って、「笑い、許すこと」」が、日常茶飯の恒常的な状態となると、特別の訓練を受けた人、認知症患者の特異な行動を許すことを使命と感じている人は別として、一般の人にとっては、(さらには、経験も、教育もないひとにとっては)耐え難いことであるに違いない。

 

何度も、私は、普通人と異常人(ボケ老人、認知症患者、etc,)との「混住」は難しいと述べてきている。 相互交流(社会=人間関係)が成り立たないからである。 「彼等の社会復帰を援助する」と言う言葉は美しいが、この援助活動を日常的に行わねばならない、となると、余程の覚悟が必要になる。 混住している健常自立老人に、そのような覚悟があるか?

 

最近、よく話題に登る「知的障害者に対する」介護職員たちの残虐な行為は、彼等の心底を考えると、頷けなくもない。 時に、かんしゃく玉が破裂するのである。 「頭へくる」のである。 専門語は心得ないが、殺人などの異常行動も、殺人者の側の心理状態が、異常で、錯乱している場合は、日本の裁判制度では、「情状酌量」の対象になると聞いている。

 

自分の身内を殺された家族の気持ちも分からないではないが、殺人者が「錯乱」している場合には、日本流に「仕様がない」と考えざるを得ないかも知れない。

同様の状態が、殺人とまでは行かないまでも、「混住」前提の有料老人ホームには、自立する健常老人に混ざって、認知症患者がうじゃうじゃと居る。 この混住社会で、認知症患者の処置をどうする? 営利を重要関心事項とする有料老人ホームでは、認知症患者と健常自立老人の、どちらをも追い出す訳にはいかない。 これは、おそらく、自立老人との混住を認める行政の問題である。

 

職務責任

最近見たあるアメリカ映画から、このブログを始めたい。 この映画は最近のものであるし、テレビでも放映されており、ご存知の方も多い筈なので、要点を繰り返すだけに留める。

 

筋書きの要点はこうである。 某国の女好きの大統領が、ある日の夜、遊び相手の女を自分の巨大な屋敷(官邸か、私邸かは不明)へ連れ込む。 その晩、大統領とその女の間に、いざこざが起って、女が危うく大統領を傍にあったナイフで刺し殺そうとする。 騒ぎが、大きくなってきたところへ、隣室かどこかで控えていた大統領護衛官2名が、二人が騒いでいる部屋へ飛び込んできて、女を銃殺する。 

 

この騒動の一部始終を、隣の金庫室へ忍びこんでいた無類に狡猾な窃盗が目撃している。 ところが、大統領補佐官(護衛官)たちは、死んだ女の状態を調べる内に、誰か不明の人物に事態が目撃されていたことを察知するが、護衛官たちは、巧妙な屋敷への忍び込み方などから、この事態を目撃した人物を割り出し、見当を付ける。 国家の為だと言う勝手な大統領の意向もあって、目撃者の探索、抹殺を試みようとするが、その場に居合わせた護衛官の一人は,、大統領の意向を「忖度」して、すぐさま、忖度した大統領の意向の実現に走る。

 

前置きが長くなったが、私のブログは、ここから始まる。 護衛官たちは、その目撃者自身はもちろん、目撃者に娘が居ることも突き止め、彼等の抹殺に掛かる。 娘を半殺しの目に合わせ、病院へ担ぎ込まれた娘は、病床に置かれるが、病院へ忍び込んだ護衛官の一人が娘を薬殺しようとするが、娘を常に見守っていた目撃者が、その薬殺の手を抑え、(この目撃者は盗みはしても、人殺しはやったことのない)薬殺しようとした護衛官を始末する。 その始末に際して、「誰のために、何のために、このようなことをする」と詰った(なじった)が、その護衛官は、「大統領を守るのが、私の職務ですから。。。)と応える。

 

「職務!」。 この言葉は、水戸黄門のお付の助さん、格さんが、常にかざす「葵の御紋」が入った、印籠の働きをする。 これは、一種の「疑似確信犯」である(ここで、私が以前に発表したブログ「危いリーダーシップ」と「光は東方より」をご参照頂きたい)。

 

「職務に殉ずる」といえば、恰好良いが、この姿勢はその実、自己保身である。

国のため、国家のため、親分のため、会社のため、。。。。。。のため、と、多くの若者が、国家の如何を問わず、時代の新旧を問わず、犠牲になってきており、現在もなお、なりつつある。

 

「。。。。のため」は、口実である。 自らの目を瞑むり、他人の目を借りて、物事を果たそうとする姿勢である。 自分の責任を他人に分けて、自分自身を守ろうとする姑息な、自分を影に置こうとする姿勢に他ならない。 刮目せよ。 自分の目で見ろ!  これは、「主体性」を持てと言う主張に他ならない(この主体性については、私は10点程度のブログを寄稿している。 ご参照下さい。)

 

聞け万国の労働者、聞け!健老の高齢者(替え歌)

 聞け万国の労働者

【作詞】大場 勇 【作曲】栗林 宇一 

 

聞け万国の労働者
とどろきわたるメーデー
示威者に起る足どりと
未来をつぐる鬨の声

汝の部署を放棄せよ
汝の価値に目醒むべし
全一日の休業は
社会の虚偽をうつものぞ

永き搾取に悩みたる
無産の民よ決起せよ
今や廿四時間の
階級戦は来りたり

起て労働者奮い起て
奪い去られし生産を
正義の手もて取り返せ
彼らの力何物ぞ

われらが歩武の先頭に
掲げられたる赤旗
守れメーデー労働者
守れメーデー労働者

うたごえのバイブル「青年歌集」などでは「聞け万国の労働者」と紹介されていますが。JASRACの正式登録タイトルは「メーデー歌」です。

 

聞け!健老の高齢者(替え歌)

(作詞者不詳)

 

聞け!健老の高齢

とどろきわたる年寄りの

爺(示威)が見せる足取りを

過去が示す鬨の声

 

汝の姑息を放棄せよ

汝の価値に醒むべし

老後の長き休息は、

社会の虚偽を打つものぞ

 

長き誤解に悩みたる

弱き年寄り決起せ

今や老後の

再起は来にたり

 

起て、高齢者奮い起て

奪い取られし、若き日を

わが手もて、取り戻せ

年輪の重石、何ものぞ

 

聞け!健老の高齢者

ある行政機関へのある提言

新しい高齢者処遇の制度として、旧態依然とした高額の経済的負担を強いる「老人ホーム」に代わる比較的経済的負担の低い「高齢者自助アソシエイツ(仮称)」の創設を提唱したい。  この制度は、知的に衰えない(時に優れた)高齢者を主体とする集団が、多くの知的・身体障害を持つ老人を含めた全ての高齢者の処遇を、管理、統制し、若者や各種専門家らの社会とのリンクを形成する。

 

上記の提言に対するある(当該)行政機関からの回答

。。。社会における高齢者の存在がますます大きく成っている中で、地域の高齢者の皆様には、主体と成って、また、中には市町村等に協力しながら、さまざまなお取組を勧めていただいております。

 

この度は具体的な御提案をいただきましたが、県は、介護保険法や老人福祉法に基づき、市町村の取組に対して支援する役割を担っておりますので、大変申し訳ございませんが、。。。ご要望にはお応えしかねます。。。

 

上記の回答に対する提議者の感想

端的に言えば、「やるなら、勝手におやり下さい。 行政は関与しません」といっているのです。 この回答は、慇懃無礼を絵に描いたような回答です。 どこかの国の中央政府の官僚の回答にそっくりです。

 

高齢者の数は増えています。 老耄の人、認知症患者の数も、それに相応して増えています。 「勝手にやってくれ」は無いでしょう。  どこへ「尻」を持ってゆきますか? 「自助」が必須なのでしょうか?

 

では、どうすべきでしょう?

まず、立つべき拠り所が必要です。 老人は、高齢であれば。あるほど、足元が危うく成っています。 65歳「後期高齢者の下の限界」を越えた若年寄の年寄りが、リーダーシップを振るうべきかもしれませんね。 彼等なら、まだ足元はシッカリシているでしょう。 最初は、彼等の中の何人かに音頭を取って貰って、その後は、順繰りに新手の若年寄にリーダーシップを受け継いで行けば、いいのです。 ちなみに、私は、87歳を越えた男性です。

 

最初の最初の音頭は?

浅才ながら私に取らせて下さい。 但し、私は、足が危ういので、足元と頭のシッカリした同僚、仲間(男性、女性の別を問いません)が必要です。 同僚を募集します。 この活動を立ち上げるに当たっての、私は、「月の法善寺」に出て来る板前修行に出ようとする男 ♫ 包丁一本、晒にまいて~ ♫ の心境にいます。

 

仲間として応募する方は、tetsudodaijin@gmail.com へメールでご連絡下さい。

 

魚の骨

先日、テレビて、子供に魚の骨をどのように取らせ、どのように魚を食べさせるかについて、放送していた。

 

大抵の母親は、自分の手で、魚の身をほぐし、身をむしり取って、子供の、特に、小さい子供の口に入れてやる、という方法をとっていた。 しかし、中には、「子供にやらせるんですよ」と嘯く(うそぶく)お母さんも居たし、「自然と見のほぐし方を覚えますよ」と言う豪胆な母親もいた。 

 

まてよ。私にも子供の時代が在った。 時折、魚の小骨を喉に支えさせて、困ったことが在った。 周囲(兄や姉、それに長兄は嫁を貰っていたから、義姉を加えた9人)が、私の子供の頃のニックネームで呼び掛けながら、XXちゃん、ご飯を一口飲み込んでご覧。 それで骨は取れるよ。

 

大人になると、喉仏にたった骨を取ることは、自分で、酷いときには、医者に頼んで、処置しなければならない。 では、老人になると、どうすればよいのだろうか? 自分で処置をするには、年を取りすぎている。 やっぱり、医者だな。 いや、老人ホームでなら、文字通りのピンチヒッターがいる。 いわゆるヘルパーとナース(看護師)だ。

 

じゃあ、初めっから、骨のない魚を食わせればいいじゃないか。 そう、魚を「骨抜き」にして、食わせるんんだよ。 馬鹿いえ、それじゃ、食う方が骨抜きになるじゃないか。 「君子、危うきに近寄らず」。 やっぱり、老人ホームでは、営業停止を喰らわないためには、始めっから骨抜き魚を食わせるのが良い。 老耄(ボケ)や認知症患者は、初めっから、骨抜きになっているからな。

 

いやぁ、だから言うんだよ。 健常者と異常者「ボケ、認知症患者、etc.」の混住はダメだとね。 ここでは、健常者は、骨のない魚どころか、割を食わされるんだ。