鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

一帯一路

「一帯一路」は、途中の未開な諸国を継ぎ接ぎ(つぎはぎ)した現代のシルクロードです。 もちろん、現代中国の責任には帰すわけには行かないのですが、現代中国は、アフリカ諸国への投資を盛んに行っているにも拘らず、中国が主唱する一帯一路は広大なアフリカ大陸を経ていないのです。 広いユーラシア大陸を横断するのみです。 マルコポーロは、アフリカ大陸の南端、喜望峰を巡りました。 もちろん、目指したのは東方の「黄金」の国、ジパング(日本:平泉の藤原氏の栄華の話をチョイ聞きしたのでしょうが)でした。 その昔、暗黒大陸とされたアフリカ大陸横断を世界最初に試みたのは、スコットランド人宣教師(探検家)のデビッド・リビングストーンでした。

 

タダ乗りは、某国(人)の得意とするところです。 ところで、タダ乗りは、発想の良し悪しによるものではなく、着眼の巧緻さによるものです。 発想には、「独創性」が感じられますが、着眼に感じられるのは、「素早しっこさ」のみです。 「素早さ」と「タダ乗り」とは繋がり易いのですが、「熟考」がなければ「発想」は生まれません。 一帯一路は、古来から繋がっていた砂漠の道を繋ぎ合わせただけものです。 そこには未踏のジャングルに潜む暗黒の道を探検し、開発し、進んで行く「求道心」も、「探求心」も感じられません。

 

昔、日本陸軍で歌われた ♬雪の進軍、氷を踏んで♬ の「気概」の底には、タダ乗りには、あり得ない悲愴で、逞しい(たくましい)大和武士の心根が潜んでいました。 「気概」は、「巧緻さ」とは異なるものです。 そこに潜むものは、純粋な心であり、情熱です。 濁り(にごり)も無ければ、作為もありません。 ひたすらな気持ちのみです。 そうしたひたすらで純粋な気持ちに、付け込んだ帝国主義は、日本国民を破滅へ導きました。

 

隣国に、そのような国民を欺く帝国主義が、仮面を被って、台頭しています。 国家破滅の悪夢は、たとえ隣国であるとは言え、再び蘇らせてはなりません。 平和運動家を長年拘束し、先進治療を受けることを阻んで、その平和運動家を無残な死に追いやった巨大な隣国の一党独裁の政治を、一帯一路によって世界に拡げさせるのは、世界の恥です。 民主主義=僭主追放(オストラシズム)を産んだ古代ギリシャの精神を蘇がえらせることが、現代もなお望まれているのです。

有料老人ホーム(続7)

拘束なき拘束付き有料老人ホーム:老人(高齢者)になると、多額の金を払って、不自由を贖う(あがなう)事がある。 有料老人ホームの入居者勧誘に「拘束のない」を謳っていることが多い。 ところが、その舌の根が濡れているのに、麗々しく、「拘束のない」を謳っているのである。 「介護付き」が、その表向きの言葉であるが、「介護」は、「介入」、「お節介」、「労り(いたわり)」、「おせわ」、などの別表現に他ならない。 

 

「自由」の受け取り方には、個人差があるかも知れないが、総じて「自分勝手」を意味すると思う。 身体に障害のある人はともかく、身心ともに健全な人にとっては、他人の介入は迷惑である。 有料老人ホームが健常者、異常者の「混住になる傾向があることは、既に述べている。 そこまでは良いにしても、看護師・介護ヘルパーという厄介者も存在する。 これが、医者でもないのに、横から口を挟むのである。 いや、その医者ですらも怪しい。 他人の自由を横から侵害するのは、大きく言えば、憲法違反である。

 

万民の自由を唱えた福沢諭吉は、「人の上には、人を作らず」と言った。 医者、看護師も人なら、我も人である。 我には、たとえ病魔に侵されていようとも、我行かんの気概が備わっている。 そうとは言え、介護付き有料老人ホームには、医者、看護師、以外にも、雑兵、木っ端がウヨウヨと居る。 老婆である。 しかも老婆の看護師となると質(たち)が悪い。 介護付き有料老人ホームには、老婆(心)と言う「お節介焼き」が、ワンサと住んでいるからである。

 

介護付き有料老人ホームに備わっているのは、備え付けの「介護」ばかりではないので、NPO的介護、特に、イケメン老爺の場合には、招かれざる「介護」が提供される。 たとえ、いや有料だからこそ、本当の自由は購え(あがなえ)無い。 イケメン健常自立者は、観念するんだな。 男前が運の付きだ。

 

話が大きく、逸れた。 軌道を基へ戻そう。 「有料」ばかりが問題なのでなく、「介護­(=医療、看護=介助)付き」も余分なのである。 不要な余分と無駄をたっぷり付けて、金儲けの出汁(だし)にしている事業(家=化)を、認め、推進している政府の施策にも問題がある。 高齢者の保護(?)、弾圧を考え直す本格的高齢化時代が来ているのである。 高齢者処遇のシステム自体を作り直し、構築し直すことが、強く望まれる。

有料老人ホーム(続6)

文化人類学的イメージ 

 

  • あの長大なシルクロードの近代版「一帯一路」を実現しようと唱える中国が、仮に(?)アフリカ諸国への投資の一環として、無料老人ホームをアフリカの諸国へ寄付したとして:~ 

 

  • 遥かアフリカ大陸の南端、喜望峰を超え東方の「黄金の国:ジパング」を目指したマルコポーロの西欧の諸国がNPO活動の一環として、老人ホームをザンビア、マリ、チャド、タンザニア、などの貧困諸国へ、同じくNPO活動の一環として、幾つかの老人ホームを寄付した場合:~

 

★オランダ、イギリス、スエーデン、デンマークなどの西欧諸国の広い庭が付いた静かな家々、老人ホームの庭園で微笑む老人たち:

 

ザンビア,マリ、チャド、タンザニアの広大な原野に建設された老人ホーム

の乾燥した大地に広がったひろい庭に佇む老人(生きているとして)の笑顔:

 

~を想像してご覧なさい。 どんなイメージが湧いてきますか? イメージに違いがありますか?

 

そのイメージは、「西洋カブレ」したあなたの心を反映していませんか?

 

それが、あなたが心に抱く文化人類学的イメージなのです。

有料老人ホーム(続5)

私の老人ホーム生活は十数年に及びます。 その間、幾つかの老人ホームをいわば遍歴してきました。 幾つかの他の老人ホームも見聞きして来ています。 そうした長期に渡る経験の中から、気付いたことの一つは老人ホームの食事の問題です。 食事は、老人の数少ない楽しみの一つです。 ところが、自家所有の本格的調理場と本物の料理人を抱える老人ホームは、まずありません。

 

その料理人も、経験に富んだ人を雇うのは、よほど難しいらしく、ある程度の経験を積んだ人を料理長(板場)とし、素人に毛が生えた程度の人を板横、その他には素人を雇って、調理をさせているのが実態のようです。 事実、ある老人ホームの料理人募集広告を見たことがありますが、それには「素人、時間給アルバイトOK」とありました。 聞くところによりますと、他の外食産業と料理人(募集)を競争したり、施設である程度の経験を積ませると、引き抜かれることもあるようです。

 

食事は、外部の給食事業会社から取り寄せ、ないし調理場を提供して調理を依頼するのが一般です。 ちなみに、が住んでいる老人ホームでは、朝飯代が¥540昼飯代が¥823、夕飯代が¥797に設定されています。 ここで重要な点は、価格が「設定」されていることです。 なお、他の老人ホームの場合も、原則として、食事代は、施設側によって設定され、入居者全員が同じ食事を食べています。

 

しかし、外出できない入居者といえども、家族や仲間、テレビ、雑誌、など、外側の世界への窓口を通して、外の世界の食堂、食事のことを見聞きします。

その結果、施設が設定した食事の値段はもとより、昔食べた料理、惣菜、など、それに、市中で販売されている料理の味、価格、見栄(ミバ=見掛)、を知る(感じる)ようになり、施設の食事と比較することになります。 その結果、施設が設定する食事価格の高額さ、不味さ、味気なさに、苦情を言い出すようになるのです。

 

ちなみに、この施設の食事に満足できない入居者(健常者)の中には、外食、ないし自炊する人もいます。 その場合には、食事毎に前日の午後5時までに、「食事止め」の事前通告を行って、食事代は払いません。 また、施設では、原則として火気と刃物(包丁、大型のハサミ、等)の使用は禁じられていますから、火気に類するものは、電子レンジ、IHヒーターの使用と包丁の使用を精神的健常者に限り、黙認しています。

 (施設の中には、健常者の居住を前提として、提供する部屋に初めから、IHヒーター、ミニ・キッチン、を備え付けたところもあります)

 

施設が提供する食事については、食べている人たちの意見、苦情、希望を聞く、食べない人たちの意見、希望も聞く、サイレントな人たちの希望も探る、が施設側の食事管理の基本となりますが、サイレントな人たちにも種類があります。 食べてはいるが、黙々と黙って食べている人たち(知的障害者に多い)と発表される献立に始めっから見向きもしない人たち、の2種ですが、この2種類の中でも,注目されるべきは発表される献立に始めっから見向きもしない人たちです。 このサイレント・オーデイエンスは、何らかの特別の理由を持っているのです。 問題は、その特別の理由にあります。

 

発表される献立に始めっから見向きもしない人たちは、 元々は食べる人たちであった人たちが自分たちの意見、苦情、希望が満足に果たされないために、その不満が成長(?)・悪化して(昂じて)、不服を感じたまま、そうなってしまったのかもしれません。 そうだとすれば、単なるサイレントな人たちではありません。 その人たちの声を(彼らは黙って、批判的な目で眺めています)、どのようにして探り出しますか? この辺に、施設側の悩みがあります。

 

老人ホームの食事問題の解決には、入居者の意見、苦情の調査に併せて、食事提供会社との交渉もあります。 私が住んでいる施設の場合は、食事提供会社として、系列の兄弟会社を指定しています。 施設の苦情調査結果は、兄弟会社である食事提供会社へ連絡され、双方協力の基、苦情対処に当たります。 しかし、これが難物で、容易に協力が果たされません。 私の長い施設遍歴を通して、いままで、苦情が的確に対処されたことはありません。

有料老人ホーム(続4)

私が住んでいる鉄筋3階建の介護付き有料老人ホームは、おそらく大規模老人ホーム(入居者総数:80名強)だと思います。 ご他聞に漏れず、「混住」老人ホームです。 最も、車椅子に乗った身体障害者を含めて健常者は、ここ数年、増え続ける異常者に押さ気味で、極く少数です。

 

この老人ホームにおいては、以前は不文律で、一階フロアは健常者中心、異常者は2階に隔離されることに成っていましたが、増え続ける異常者が2階からはみ出て、一階に堂々と、健常者に混ざって異常者が居座っています。 身元引受人(家族)の要請もあるのでしょうが、車椅子に「のうのうと」背と足を突張らせた姿勢で座り、フロア・食堂(ラウンジ)内を、我が物顔(?)に徘徊しています。 この徘徊異常者は、身元引受人の家族をご意向を忖度(そんたく)してか、自由に動き回ることが黙認されています。 お金を払う家族の意向でしょうが、入居者が会同するラウンジ内で、奇声を発して、突然に喚きはじめることも勝手放題です。

 

同じ様に金を払って住まわせて貰っている店子(健常者)ですが、その健常者の意向などは斟酌(しんしゃく)して貰えません。 大家にとっては、異常者の方が、より良い金の出所らしく、健常者はご遠慮申しげねばならない事情もあるらしいのです。 そうは言うものの健常者といえども、高齢者です。 足元がふらつくこともよく起こり得ます。 通路に自在に(気が向くままに)動き回り、徘徊する、脳に故障のある異常者の動きは、予断を許しません。 しかも、後ろを確かめもせず、突然に後進する車椅子は、防ぎようがありません。 事故? それは、大家の預り知らぬところです。 まして、健常者なのですから、言うまでもなく自己(事故)責任です。

 

またしても、「混住」が手先で、元凶は「金」らしいのです。

 

 

有料老人ホーム(続3)

有料老人ホームが、必然的に「混住化」することには、既に何度も言及しています。 混住は、つまり、健常者と異常者(ボケ老人、認知症患者、その他の精神異常者、など)が、一緒に住んでいることです。 この健常者と異常者との間には、当然ながら、正常な交流(人間関係)は起こり得ません。 正常で、楽しい生活、つまり社会は、混住老人ホームでは、成立しないのです。

 

メトロノーム現象(仮称) と言うものが報じられています。 秩序なく乱雑に動いている複数のメトロノームも、一箇所に置かれていると、時が経つ内に、動きがだんだんと揃ってきて、最後には、そこに置かれた全メトロノームの動きが、揃ってしまうという現象です。 さなぎだに、加齢のため、認知症化する傾向を持つ高齢者が、たとえ自らの自意識の確立した老人であろうとも、圧倒的多数の異常者の中へ放り込まれると、だんだん異常化してきます。

 

自分の親を、高額の料金をはらって、異常者群の中へ押しやって、自分の親が「ボケ」てきても、「これも、自然の現象だなぁ」と、思ってしまうのは、普通のことです。 そうではないのかもしれません。 実は、高額の金を払って、自分の大事な羊を、狼の群れの中へ、放っているのかもしれないのです。 もちろん、その責任は、身元引受人(つまり、あなた)にあるので、施設経営者の関知せざるところです。

 

以下の部分は、筆者の個人的主張ですが、「自立心」、「自律心」の背後には、「主体性」が潜んでいます。 もちろん、このことは証明されていません。 私の言う「主体性」は「性」であって、身に備わったものです。 従って、「心」のように「養う」ことも、「練磨する」こともできません。 主体性の備わった人は、“おそらく”幸せです。 メトロノーム現象に耐える事の出来る人は、この主体性の備わった人でしょう。

老人ホームの有料化(続2)

「有料」老人ホームが、必然的に「混住」になることは、先のブログで述べました。 老人ホームに永住する人たちにとっては、特に身体障害者にとっては、外出は、文字通り、たまの楽しみです。 そこで、私が住んでいる施設においても、「外出イベント」を催して、入居者を慰めようとします。 外出イベントの内容は、いろいろな工夫を凝らして、別料金を取ります。

 

施設所有の車を使っての、たまの外出(遠出)ですが、入居者全員とは行きませんから、イベントへの参加は、別料金を払って参加を「希望」する入居者に限って募ります。 その場合、健常者、異常者の区別はありません。 健常者、異常者の参加に区別はないのは、参加料金についても当てはまるので、参加する健常者たちは、この点については、施設側のやり方が「あざとい」と非難しています。

 

つまり、車椅子に乗った参加者、介護人が必要な参加者も、参加しますから、当然、介護ヘルパーたちも数人同行します。 イベントは、楽しみの一部として外食(一般のレストランを利用)を伴います。 この食事は、参加者と付き添いのヘルパーが同席しますが、横目でみると、付き添いの介護ヘルパーと参加者が同じものを食べてます。 これが、付き添いを必要としない健常参加者にとっては、介護ヘルパーたちが、健常参加者の「上前をはねている」かのように感じられるのです。 さすが、この非難に気付いた施設側では、その後、介護ヘルパーに、少し値段が安そうに見える料理を介護ヘルパーたちには、宛がう(あてがう)様になってきています。

 

他にも、施設側のやり方が「あざとい」と感じられるものが多々あります。 その第一は、買い物です。 入居者は、原則として外出できませんから、欲しいものがあるときには、「買い物代行」を依頼することになります。 私が住む施設の場合は、代行料一回¥600です。 しかし、買い物代行を頼むと、本当に欲しい物が、容易に買って来てもらえません。 例えば、チョコレートを注文すると「明治ブランド」の物が欲しいのに、「森永ブランド」の物を買ってくると言った具合です。 そこで、自分の目で見て買い物をしたいと思うと、買い物同行という介護ヘルパー付きのサービスがあります。 一時間¥600で、交通費自分持ちですが、施設所有の車を使わせて貰うと、車利用料は、一回¥1,500です。 これでは、おちおち買い物もしていられません。

 

こうした不都合は、「介護付き有料老人ホーム」には、他にも多々あります。 

その一つの理由は、「介護という名の拘束」を金を払って贖って(あがなって)いる、ことにあります。 私の仲間たちは、施設のことを古い昔の映画の題名を使って「格子無き牢獄」と、自嘲しています。

 

微々たる不都合を言えば、その一つに「入浴」があります。 風呂場は、ある意味で危険な場所です。 足元の定かでない老人には、転倒の恐れがある場所です。 ボケ老人の場合、粗相(そそう)する恐れもあります。 血圧の高い老人は、卒倒、意識喪失の恐れすらもあります。 自分では処理できない老人の身体を洗ってやる必要もあります。 暴れるボケ老人もいます。 浴室内へ入っての見守り(監視、ときに文字通り拘束)が必要なのです。 老人の身体を洗ってやる場合、老婆は羞恥心が残っているでしょうから、「男性」ヘルパーを嫌がります。 しかし、人員不足の今日ですから、容易に、女性ヘルパーの数を増やすことは出ません。 同じことが、老爺の場合にも言えます。.

 

色々な理由から、自分の家には住めず、金を払ってでも、「拘束(介護)」を買わなければならない老人もいます。 例えば、女房に先立たれ、家族(子供たち)では面倒見きれない場合。 交通事故治療回復後で、病院はもちろん、周囲ですらも面倒見きれない、身体障害が残ったままの老人の場合、などがそうでしょう。 私の場合は、前者の場合でしたが、幸い知能とある程度の体力とには恵まれていました。 しかし、介護と言う名の拘束(不自由)は、尾引いています。 物品の購入には、インターネットを利用しますが、外出は原則として、施設が定めている午後9時の消灯時間まで、と制約されていますから、夜遅くまで居酒屋を飲み歩く事はできません。

  

「有料(金)!」。 これが元凶です。  もちろん、その背後には、経営者のシヤィロック精神が潜んでいます。