鞍馬天狗

夢寐のたわごと

文明の狂気(凶器)

♪ お江戸日本橋、七つ立ち、初上り、行列揃えて、あれわいさのさ~
(集合場所、出発点は日本橋です。皆さんお揃ろいで上方へ出発します)♪  

エジソンは、人類から夜を奪った。 現代なら、東海道新幹線東京駅発初電は、「のぞみ」で、6時20分、「ひかり」なら6時26分。 誰が、午前4時なんて、早い時刻に、日本橋(東京駅傍)をそんなに早く立つもんか。 昔は、良かった。 京都へ向かうにも、菅笠かぶり、脚絆を履いて、朝の暗い内から、提灯持って戸外運動だ。

 

就中(なかんずく)、車椅子がイカン。 車椅子メーカー(営業妨害になるから、名指しは避ける)は、人類から足を奪っている。 こんな凶器のために、人類の足が弱ってしまった。 「歩け?」、馬鹿言っちゃいけない。 車椅子に乗って、他人に押して貰うほうが、楽ちんだよ。 利器は、たちどころに凶器に代わる。 それというのも、人間の狂気のせいだ。 車椅子の同類は、自動車、電車、飛行機だが、これらは人間から 距離感覚を奪っている。

 

狂気(凶器)と言えば、数十万に人を「バン!」一発で、殺した「核」がある。
核で、電気を作るか思えば、人をも殺す。 発電の利器か、爆弾の凶器か、決めるのは、人間の正気か狂気かである。 利器を凶器に代えるのは、人間の理性である。 利器ならんとすれば、「利」ならず、凶器ならんとしても、利器になる。 ほんにこの世は、世知辛く、住みづらい。

 

世界は小さくなってきた。 宇宙まで、拡大しているのかと思ったら、人間が縮めている。 ビッグロケットマン! 宇宙戦争か? もう戦争は、懲り懲りだ。 世界戦争で十分だ。せめて天空の世界(天国:極楽浄土)でぐらいでなら、ゆっくりさせてくれぇ! 

満員電車尽の鉄道が、利器か、凶器か、そいつは、鉄道大臣に聞いてみな。

権威主義(A)

権威主義は、よそ事ではない。 この日本の国にも、蔓延(はびこって)いる。 概して、儒教が盛んであった、そして盛んである国に、身分差別、男女差別、が横行している。 ちなみに、文化は、ほぼ言語で代表されると思うが、儒教文化圏では、言葉使いに、権威主義的な「差別感=権威主義」が埋め込まれている。

例えば、一時期問題となった「忖度(そんたく)」がそうである。 この言葉には、身分意識が分かち難く潜在している。 文化の中に、身分意識(権威主義)が埋め込まれているのであるから、例えば、いろいろな「敬語」に表されるように、身分意識、差別意識は、生活の中にも、染み込んでいる。

さらに例を上げれば、「あしらい」もそうである。 誰かをあしらうのは、相手を軽く見て「いなす」ことに繋がる。 他人から相談を受けて、「考慮する」と答えるのは、応える側の優位な姿勢=態度を窺わせる。 こうなってくると、日常の会話すら、「威勢」の有無、社会的、年齢上、身分上の「へりくだり」などが感じられて、おそそかに、話し合うことも出来ない。

仮に儒教文化というものがあるとすれば、東北アジア儒教が拡がった諸国の
全てに「孔孟の教え」が行き届いていることになる。 では、孔孟の教えとは? 以下、幾つかの引用で説明を試みてみる。 意味は、お汲み取り下さい。

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山崎闇斎は部屋の奥の方に厳しい面持ちで端座していた。ぎっしり集まっている門弟たちは、先生の言葉を一言も聞き漏らすまいと静まりかえっていた。 突如として 「皆のものに尋ねたいことがある」と、闇斎の大きな声が障子をふるわせた。一同はぎくりとして我知らず平伏した。
 「外でもない。もし孔子が総大将となり、孟子が副将軍となって、大軍をひきいてわが国に押し寄せてくるような事があるとすれば、我々孔孟の道を学ぶものは、どうすればよかろうか。皆のものの覚悟の程がしりたい」。  思いもかけぬ難問であった。 誰も答える者はなかった。


不気味な沈黙が満堂の空気を鉛のように重くしていた。その時、 「不肖ども一同思案に余ります。 先生の思し召しをお伺いいたしとうございます」と、恐る恐る声があった。 闇斎はいつもより厳然として言いきった。  「不幸にしてそのような場合に出おうたならば容赦はいらぬ。 奮戦して孔孟をとりこにし、これを軍陣の血祭りに挙げるまでじゃ。 これが即ち孔孟の教えぞ」と。 今この見識がほしい。 今日、色んな言論が乱れ飛んで、己の信ずる教え、或は主義の為に、我のみ真実であるかのごとく振るもうて、他を排斥し、大義名分に反する行動が世の中を不安に陥れているのではないでしょうか。 

・・・・・・・・(ウイキペデイア)
注:山崎闇斎は、江戸時代の儒学者
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礼節謙譲の精神とは 礼節は礼儀と節度の短縮語になります。 そして謙譲のこころを持つ。
礼儀・節度・謙譲の精神とは礼儀正しく節度のある行い、そして謙虚な心である事ということになります。 へりくだり、ゆずる心で相手を高める、うやまう心が大切と言うことですね。 日本では、美しい心として相手に対して、礼儀正しく、へりくだって相手を立てて、事も進める精神が有ります。 日本人は何を考えているか解らないと言われますが、それを相手の立場に立って、考えて読み解き、相手を理解する努力が必要なのです。 だから、外国人には解らないのが日本人ですね。 近年は、「できるのなら言ってよね」という、自己主張のできる人が良いとされているグローバル社会が広がり、謙虚な心は読み取っていただけない奥深さが無いと言うか、薄っぺらな社会構造になってきているのが残念です。

各種選挙の立候補でも、出たい人は手を挙げる時代ですが、出たい人に投票したい人がいないのはなぜでしょうか。 以前は、本人は出る気はなかったが、皆さんから、どうしてもあなたにやって欲しいと押し出されて断れないほどの支援でやむなく決断した方に投票したものですが、近年めっきり居なくなりましたね。 米国流の合理的社会と言うのでしょうか、相手の気持ちを考えなくて済むというか、気持ちを読み解く必要が無くなったというか、美しくない様に感じます。 でも、世界各地では日本人ほど相手の心を読み解き、相手の立場を理解して対応する人は少ないと聞きますので、この精神は大切にして貰いたいです。
(中入り注:一つ、軍人=武士は礼節を重んずべし:軍人勅諭鞍馬天狗


相手のため公のために尽くして、それを自らは語らない謙虚な心、そして、そのことを理解されなくても良いと思える心が日本人の美しい心ではないでしょうか?
・・・・・ Weblio辞書
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五常(ごじょう)または五徳(ごとく)は、儒教で説く5つの徳目。仁・義・礼・智・信を指す。三綱(君臣・父子・夫婦間の道徳)とあわせ、「三綱五常」と表現することも多い。
・・・・・・・・・・・・・(ウィキペデイア)
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孔孟は、「権威」を説いた訳ではない。 むしろ、「譲る(ゆずる)こと」、「謙る(へりくだる)こと」を教えている。 譲ること、謙ることが、逆に「威張ること」を教えたと受け取るのは、それは、習った方の思い上がりである。 
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親鸞の言葉を元にして,異端を歎いた『歎異鈔』第 13条に出てくる語。 弥陀の本願に不思議な力が備わっているからといって,悪を恐れずに振る舞うこと。 『歎異鈔』の作者は,この本願誇りでは浄土に往生できないというのは,弥陀の本願を疑うものであると批判している。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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「威張る」のは、正に「本願誇り」の最たるものであり、権威主義は、今日、流行りの言葉で言えば、孔孟の教え、弥陀の本願の「真逆(まぎゃく)=正反対」をやっている。 そもそも、権威主義そのものが、「謙譲の精神」を真逆に受け取ったものである。

儒教社会には、「権威主義」ではなくて、「謙譲の心」が埋め込まれている筈である。 近代文明の発達(?)したアジアの国々(韓国?日本?北朝鮮?)ほど、権威主義が蔓延っているようだ。 だが、文明と文化は違う。

翻って、オリンピックでは、世界の人々をアジアの文化で迎えたい。 謙譲の文化で迎えたい。 権威主義よ、サヨウナラ!

様子見

様子見(ようすみ、または、ようすみやう)とは、「判断保留」のことである。
日和見主義の別の表現と言えなくもない。 いや、「及び腰」と言っても良い。
いわば、ずるいやり方である。 そう言えば、医者がよく使う手だ。
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よう すみやう- [0] 【様子見】
1. 状態に変動があるまであえて行動せず、状況を静観すること。 「当面は-の方針」
2.金融市場で、売買せずに相場の成り行きを見守る状態。 模様ながめ。
「様子見」に似た言葉  傍観 日和見 拱手 黙視
三省堂 大辞林
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そう言えば、出処は落語だと思うが「手遅れ医者」というのがある。 診察に訪れた患者に、開口一番「手遅れです」というのである。 その患者の病気が治れば、手遅れの病人を治したのであるから、天下の名医と崇められ、不幸にして患者が亡くなったら「言った通りでしょう」と済ましておられる。

様子見は、「手遅れ」の近代版である。 様子見に準ずる「ずるい医者」の診断は、「糖尿病に掛かっています」である。 特に、患者が老人である場合には、「ハズレ」が少ない。 十中八九は、当たっている。
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糖尿病患者は、全体人口の12.1%。男性は50代で12.6%、60代で21.8%、70歳以上で23.2%。女性は50代で6.1%、60代で12.0%、70歳以上で16.8%。患者のうち、治療を受けている人は男性78.7%、女性74.1%といずれも増加傾向にあるが、自覚症状がない患者も多いという。
厚生労働省調査
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「君子危うきに近寄らず」。 生活を賭けた街の開業医の場合は、診断も「的確」でなければならない。 流行るか、どうかは、日々の{自分」と「自分の家族」のおまんまの問題であるから、事は深刻である。 心ならずも、オベンチャラを言うことにもなろうし、「当たリ!」を狙うことになる。 


長い人生の経験から学んだのであるが、「薬九層倍」という。 儲かる点で
は、歯医者が一番のように思える。 最近は、「医薬分業」とか唱(称)し
て、 薬剤師も「金儲けの仲間入り」をして来ているようである。 その昔、中国国民党蒋介石)と共産党毛沢東)が、「国共合作」を叫んだが、その日本版が、医薬合作の気配がある。 

何も、他人の儲けをやつかむ訳ではないが、でも、羨ましいし、妬ましい。

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広辞苑』には「やつかむ」の項目で載っています。 関東の方言として「うらやむ」「ねたむ」の意味が書いてあります。
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最近は、そうした儲け話を「仲間で分ち合おう」とする動向も見られる。 なんとなく、役人・官僚の「天下り」を連想させる手口だが、大病院は患者の近所の町医者(開業医)の紹介状なしには、受け付けない。 色々、手前勝手な理屈もあるだろうが、早い話が、これを世間では、「グルになる」、「身贔屓」という。 儲け話は、誰しも乗せてもらいたい。

こうした商売を世間で妬むのも無理もない。 ある政府の高級官僚が、自分のボンクラ息子の入学を願って、ある有名私立「医科」大学の理事長を抱き込んで、不正を働いたという。 貧乏人(の子供)は、羨ましいよぉ。 

分 別

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分別 ふんべつ vikalpa
仏教用語。思惟 (しゆい) ,計度 (けたく) とも訳される。 『阿毘達磨倶舎論』では,(1) 自性分別,すなわち直覚作用のこと,(2) 計度分別,すなわち判断推理作用のこと,(3) 随念分別,すなわち過去のことを心に銘記する追想記憶作用のことの3種に分けて説明し,また意識は,三分別すべてを有しているので有分別であると説明している。 大乗仏教では,凡夫の分別は,真実のものではなく妄分別であるとしており,正しい真如の理を悟ることは,無分別智を得なければならないとしている。

 

分別 ぶんべつ fractionation
化学的,物理的性質のよく似た物質が混合しているとき,それらを分離する操作。 溶解度の差を利用した分別結晶,溶解度や沈殿析出の速度の差を利用した分別沈殿,揮発性の差を利用した分別蒸留や分別昇華,さらに吸着力の差を利用したクロマトグラフィー,非混合液体間における分配係数の差を利用した溶媒抽出および向流分配法など多くの方法がある。 またアイソトープの分離には熱拡散平衡の分子量依存性を利用した熱拡散法,あるいは遠心力を利用するガス遠心分離法が行われることがある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 
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近頃は、ゴミを捨てるにも、分別が必要である。 海水がプラスチック・ゴミで汚染され、魚達にも迷惑を掛けているそうだ。 引いては、その魚と食う人間にもめいわくになる。 自業自得と言えば、そう言えなくもないが、食物連鎖の途上にある動物が気の毒だ。

プラスチック容器は、止めて、「紙」の容器にしようという話もある。 紙は、神代の昔(?)から、人間がなれ親しんできた素材である。 人間の中途半端な賢さが、プラスチックという文明の利器を考え出した。 こんな中途半端は他にも多い。 「片方立てれば、他方が立たん」。 他方を見ずに、物事を進める人間の浅はかさが生む悲哀である。

 

例 1
この施設には、90人近い老人が住んでいる。 当然ながら、洗濯物を一斉に出して、選択担当の職員に洗濯を依頼する。 洗上がった洗濯物は、それぞれの所有者の名前を書いた袋へ詰めて返す。 その際、洗濯ものの「分別」作業が行われる。

この際に洗濯物の「分別(ぶんべつ)」が必要だが、「分別(ふんべつ)」の付かない職員は、混乱を惹き起こす。 ある時、靴下を洗濯に出したが、返されて来たのは、靴下の片方だけ。 洗い上がった洗濯物を「分別(ぶんべつ)」した職員は、私に足が二本付いていることは、承知していた筈。 

 

例 2
「分別」:この言葉、なんと読む? ふんべつ? ぶんべつ? なんと中途半端な! どっち付かず。 いや、両方に付いている。

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ちゅうとはんぱ【中途半端】
物事が完成していないこと。 また、徹底していないで、どっちつかずなさま。
出典 三省堂大辞林 第三版について 
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文化

文化は人が作る。 方言も人が作る。 だが、標準語(?)は放送局(文部省?)が作った。 けだし、「標準」文化はあり得ない。 男尊女卑、上下関係の文化も人(偉い人)が作った。 しかし、標準人間は、統計上だけに存在する。

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文化
1. 〔culture〕 社会を構成する人々によって習得・共有・伝達される行動様式ないし生活様式の総体。言語・習俗・道徳・宗教、種々の制度などはその具体例。 文化相対主義においては、それぞれの人間集団は個別の文化をもち、個別文化はそれぞれ独自の価値をもっており、その間に高低・優劣の差はないとされる。 カルチャー。
2.学問・芸術・宗教・道徳など、主として精神的活動から生み出されたもの。
3,世の中が開け進み、生活が快適で便利になること。 文明開化。
4,他の語の上に付いて、ハイカラ・便利・新式などの意を表す。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・(三省堂 大辞林
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文化に関連して、国民性ということも言われる。 これらは、長い歴史と伝統を通じて形成されるから、「育ち」が核になっている。 移民した人達も、その子どもたちになると、成長の過程を経て、その生まれた土地の文化の中で育ち、国民性を獲得してゆく。


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南北アメリカ大陸の原住民・アブオリジンは、見捨てられ、切り捨てられました。アフリカ大陸では、住民は、家畜同様に移動させられ、土地・資源とともに私有財産として利用・処分されました。ヨーロッパですら、バスク・コルシカ・アイルランド等の諸問題があります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・(ウイキペデイア)
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同じような問題が、日本にもある。 「アイヌ」がそうです。 元日本人、つまり、この日本列島に土着していた人達は、北からは縄文人、南からは弥生人がやってきて、この国(?)を作ったと言われる。 厳密な意味での日本人も、全て、外来(渡来)の人々だ。

アメリカ合衆国も名が示すように、「合衆」です。 アメリカ大陸の原住民は、アメリカン・インデアンですが、彼等も現在は、アメリカ人として生活しています。 日本人や中国人、韓国人三世も、アメリカ合衆国軍に籍を置き、欧州で戦いました。

 

文化は、長い時間を掛けて、伝承され、作られるものです。  躾、環境、周囲の状況、家系の信心(信仰)や宗教、仲間、家族、ご近所、が文化を形成します。 異民族というのは、実は、作り事です。 強いて言えば、遺伝子で引き継がれる黒い肌、白い肌、低い鼻、高い鼻、曲がった鼻、薄い唇などの身体的特徴ですら、数百万年のうちに、環境や自然の条件に依って変えられます。

 

国民性、民族、育ち、躾、体質、肌の色、体格、性別、などで、他の人を区別することは、取りも直さず「差別」につながります。 文化を考え、研究することは、差別をうむ為では無く、標準文化を求める為でもありません。 人類を、各様のあるがままの姿で包摂し、グローバルな(地球規模の)視点を得るための縁(よすが)になることを願って、諸文化を研究するのです。

先読みの迷惑

敢えて「賢い」と言おう。 先が読める奴がいる。 その道の専門家に多い。
先が読めるから、次々と新しいことを考え出す。 そして、「ご丁寧に」実験する。 それは良い。 だが、実験するには、「実験台」が必要である。 しかし、
都合に良いことに、実験の対象となる群衆(大衆)が居る。 

 

大衆は、先を読んでいないが、「今まで」に慣れている。 今まで、つまり、現実は現実に動いている。 その現実こそが、慣れたこと。 そこへ、先を読んだトンチキ野郎が、「新しいもの」を当てはめようとする。 そんな「珍奇」は、大衆の肌に合わない。

 

トンチキ野郎の数は少ない。 どの道に於いても、専門家の数は少ない。 だから専門家なのだが、苦労するのは「珍奇」を押し付けられ、実験台にされる多くの「(大)衆」だ。

 

慣れないものでも、「なれると便利」というものも有る。 大衆が「便利だ」と叫べば、「それ見てご覧」と「してやったり」とシタリ顔で快哉するお調子者の専門家の数も多い。

 

こうした「先読み」が大衆に与える例は、数知れない。 下手な工夫は、「せん」方がまし。 「せんでもいい」工夫の例としては、早い(遅いか)話が、未だにあれこれ「弄り回している」Windows 10。

イメージ(心象)

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現代の研究者たちがこのような経験について、イメージ(または、「心的イメージ」「イマージュ」「心像」)は知覚のどのモードでも起こり得るとしているため、人は、聴覚イメージ(Reisberg, 1992年)、嗅覚イメージ(Bensafi et al., 2003年)、その他の諸イメージを経験することが可能となる。 とはいえ、この問題についての哲学的及び科学的研究のほとんど大部分は、「視覚」イメージを中心の主題としている。 人類と同様に、多様な種類の動物たちがまた、心的イメージを経験する能力を有すると広く推定されている。 しかし、この現象の根本的に主観的な性質からして、この推定を支持する証拠も、反駁する証拠も、見出すことはできない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(ウイキぺデイア)
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人は、概して、イメージを美しく、自分の都合のいいように描く。 その最たるものは、料理見本、食品見本である。 見ると食欲をそそるが、食べてガッカリすることが多い。

池波正太郎創出(想出)の「剣客商売」に登場の秋山小太郎の年齢は、何歳にみえる? あの豪腕振り、助平振り、息子(秋山大次郎)の剛勇ブリから、描ける心象は、せいぜい60歳である。 それにしては、ずいぶん長く生きている。

人は、心象(イメージ)を美しく持ちたがる。 この傾向を悪用(?)したのが、世に氾濫する「テレビ広告」だと言えなくもない。 この傾向にウマウマと乗せられるのが、「衆愚」である。 その御蔭で、知事選挙に当選した人すらいる。 人気も、イメージの所産であることは、紛れもない。

 

When I find myself in times of trouble, Mother Mary comes to me
Speaking words of wisdom, let it be
And in my hour of darkness she is standing right in front of me
Speaking words of wisdom, let it be…

 

このポール・マッカトニー(?)の歌を、突然引用する筆者のイメージは? 英語ぺらぺら?  事実は小説より奇なり。 全く、そうではない。 英語、タド
タドである。 イメージは恐ろしい。 なんとか大臣さんも、自分の悪イメージ打ちこわしに、好イメージ創りにやっきである。

 

イメージを味方にせよ。 敵にするな。 これが民主主義での成功の要訣である。 どこの、どの、何の、何についてのイメージでも良い。 イメージでさえあれば、それが「悪」イメージでない限り、百千万の味方を得たのである。

 

イメージは創(つく)れる。 イメージは、あなた(貴方・貴女)の手中にある。 心象(イメージ)を作るのは、あなたの日頃の行いである。 時の流れに流されて、決して、幼稚園、小学校や大学を作るなかれ。 その迂闊さが、身を滅ぼす。 同じ作るなら、保育園、老人ホーム、賭博場の方がましである。

 

XXXさんよ、日頃の行いに気をつけよ。 民衆のイメージは、ガタ落ちになっている。 民主主義の日本だということも忘れるな。

 

鞍馬天狗の世迷言