鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

介護と拘束

介護と拘束は、裏腹の関係にある。 面倒見されていることを、介護と受け止めるか、拘束されていると感じるかは、面倒を見られている当人の主観的問題であって、当人が自立(律)している場合には、拘束されていると感じ易い。 その拘束にも、肉体的・物理的拘束か、心理的拘束か、の二通りがある。 例えば、心理的に健全であっても、身体が衰え、車椅子に乗せられているような場合には、介護されると、あらがいようのない焦れったさに苛まれ、心理的に文字通り「格子無き牢獄」に閉じ込められ、拘束されていると感じる。 同じように、自立(律)度の高い人の場合にも、介護は拘束と受け止められる。 この様に、心理的に健全であり、自立した人には、介護は一様に拘束と感じられる。

 

介護の一つの方法として、「見守り」があるが、この方法は、自立度の高い人にとっては、監視されていると受け取られ、煩わしく感じられる。 別言すれば、見守りも拘束なのである。 これが、介護と拘束が表裏一体であることの所以である。その意味で、「拘束のない老人ホーム」はあり得ない。  

 

老化に依る体力の衰えは、保護を必要とする。 しかし、老化は必ずしも知力の衰えを来さない。それどころ知識の累積に依る知力の向上すら期待出来る。 俗に言う「年の功」である。 従って、理性上の他人に依る介入は必要としない。 介入保護、つまり介護は、体力、知力に於ける弱者に対するもので、正常人に対するものではない。 正常人にとっては、介入は煩わしいだけである。

 

体力が衰えた正常人は、世間的活動から身を引いて、若者に活動の中心を譲り、可能なら、自適の生活を送るのが良い。