鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

殿、ご乱心でござる

江戸時代に生きていたわけでもなければ、この時代を直に見聞したわけでもない。 でも、昔の殿様の中にも、認知症を患った人が居たに違いない。 殿様が認知症になって、乱行を始めたら、家来、そして家族たちは、どうしただろう。 「殿、ご乱行でござる」と騒いでいるだけでは済まない。 「押し込め」、「蟄居」、侍の身分が平なら、「閉門」、町人、農夫、など平民なら、姥捨山、など、色々工夫したことだと思う。

 

今日なら、老人ホームという便利な機構がある。 公共老人ホームへ入れてもらえなくとも、チョット金を払えば、「有料」老人ホームという商売もある。

この商売、捨てたものでもない。 高齢者はどんどん増えているし、認知症患者も増えている。 それどころか、ゆうゆう自適を求めて、進んで金を払う人もいる。

 

昔なら、金と力や名声・権威があれば、人生の最後を、隠居暮らしでらくらくと過ごせた。 中には、「大御所様」と祭り上げられ、350年も経ったこんにちまで、神様扱いされる人もいた。 それが、今日では、無縁仏で葬られ、孫の代には、影も形も無くなっている人もいる。

 

隠居は遠く為りにけり、蟄居のみが近くなっている。 老人ホームは隠居の場所ではなく成っている。 家庭の厄介者の掃き溜め化しつつある。 昔風に言えば、姥捨山が、老人ホームである。 ここは、悠々自適の場所ではなくて、蟄居・閉門の場所である。 金を払って、ここで悠々自適を求めるのは、錯覚も甚だしい。 捨てられた家庭の厄介者と一視同仁されるのが、近代的な事業化された有料老人ホームである。