鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

保証人と身元引受人

私が住む有料老人ホームでは、「拘束がない」を謳っている。 この老人ホームでは、入居者の身元引受人(後見人?)が拘束を求めなければ、その入居者は自由に外出することが出来る。 つまり、拘束が無いというわけである。 

 

この老人ホーム・チェーンに属するある施設では、この拘束の無い入居形態をタイムレスと呼び、身元引受人が「無拘束」を求めた入居者を、特別料金を課して、特別に設けられたセクション(タイムレス棟)へ入居させている。 しかし、タイムレスの入居者であっても、入居中に老耄の状態に陥ったり、認知症を発症したりして、介護が必要になると介護棟へ移される。 

 

その意味でタイムレス棟へ入れて貰えるか、介護棟へ入るかの決定は、施設側ではなくて、入居のための金を払う身元引受人の決定に委ねられている。 別言すれば、拘束か、無拘束かを決めるのは、金を払う身元引受人だと言う仕組みになっている。 いわば、生殺与奪の権は身元引受人が握り、施設運営者側は、この件に関する限り自分たちを部外者の立場に置いているという仕組だ。

 

ここで注目したいのは、身元引受人と保証人の言葉の使い分けだ。 施設への入居、そしては拘束か、無拘束か、は、入居料を払う人(つまり、身元引受人)が決める。 施設側は、身元引受人の委託を受けて、入居者の管理を引き受けているので、入居者のあり方を保証しているわけではない。 極言すれば、入居者が、窃盗、殺傷などの不道徳行為を働いたにしても、その責任を施設は取らないのだ。 入居者の悪行、悪業の責任は、別人(おそらく、身元引受人)が取ることを前提にした言葉の使い分けである。 施設は、警察や病院ではないので、「金」のみを目的にして運営していると言っても良い。 その意味で、「有料」老人ホームの本来の事業目的は、いかに美々しく飾ろうとも金儲けの一言に尽きる。

 

異常な不道徳行為に及ぶ人たち、病人、など、家庭では持て余した人たちと、そうでない人たち(進んで、自適したい、隠居したいと望む人たち)とを併せて、一定の条件(例えば、65歳以上)を設定した上で、入居者を金儲けのために掻き集めているのが、「有料」老人ホームだと言っても良い。  その結果、

異常と健常の「混住」が、有料老人ホームの常態になっている。  特に、巨大化(肥大化)した事業体の「有料」老人ホームであれは有るほど、その傾向が強くなっている。

 

巨大化した事業の有料介護付き老人ホームでは、「拘束の無い」事はあり得ない。 車椅子に乗った入居者は、介護者が同行しない限り、自然に外出が難しくなるから、自然に拘束される。 仮にそうした身体的拘束がないにしても、見守り(監視)等の半心理的拘束が行われる。 身元引受人が、入居者の随時の外出を認めるように求めていても、施設側は、経営・管理の責任上(有料であることの責任上、そしておそらく監督官庁などの要求もあって)、健常者を含めた入居者への夜中見回り(部屋覗き)や入浴中(個々人に浴室が与えられない限り)の監視を行うから、拘束が無いことは、あり得ない。

 

拘束することが、老人ホームの原則になっているから、当然、外泊も制約される。 監督官庁の指示もあって、外泊中の事故の責任をも取らねばならないから、施設側は外出届の提出を求める。 届けの内容は、精細を求めることも多い(と言って、それだけ精細に責任を取るわけでもない)。 出先の詳細(連絡の必要もある)を始め、出先そのものの制約、など、不必要で、失礼だ、と思われる個人情報を求めることすらもある。 遠距離旅行や長期間旅行(外遊を含めて)などは、旅行プランの詳細まで、精査される。

 

狂乱する異常入居者が居る場合、その狂乱を抑えるために、現場の介護職員たちが、異常入居者に対する身体的拘束、乱暴、怒言、叱正、悪口、暴力、などに及ぶこともしばしばである。 まして、混住が定則になっていると、健常入居者が、介護職員のそうした拘束的暴力、暴言、を傍で見聞きし、トバッチリを受けることも、よく起こる。 すると、健常者にも「惻隠の情」が働くから、「見ちゃおれん」と言う気持ちにもなるし、義憤が起こり、施設職員への反感を生み出すこともある。

 

異常者を抱えることの多い老人ホーム経営では、異常者による不慮の事故、健・異常を問わない事故や怪我、急病発症、などに対する処置、対応の責任を極度に警戒し、恐れる。 施設責任者や職員の責任逃れ的応答、応酬が、入居者、入居者の家族を交えて常に行われ、施設職員の日常の応接にも、そうした責任逃れの弁舌が極めて多い。 極言すれば、「無」責任な姿勢が、上から下まで、施設職員の間に瀰漫している。