鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

タダ生活の購い(あがない)方

私は貧しい家の9人兄妹の末っ子として生まれた。 子供も頃、近所の活動写真小屋へ、タダで活動を見に走り込んだ事が多かった。 小屋の奥の映写室に近い入口に、切符切り(見張り)のお婆さんが居たが、入口がノレンであることと身体が小さいのをを利用して、婆さんの目を盗んで、走り込んだのである。 婆さんの「これ!」という叱声を後に、よく活動写真をタダで楽しんだ。

 

学制改革のどさくさに紛れて、尋常高等小学校高等科修了をはじめに、中学・高校を卒業し、奨学金を貰って、横浜へ遊学した、 さらに、アメリカ人恩恵者から多額の奨学金を貰って有名私立大学へ進学した。 さらに更に、その学校のアメリカ人学科長の奨学金を貰って、大学院へ進んだ。 ここまでは受験勉強と言うものを知らずに、唯ひたすらに「タダ」を続けて、修士号を得た。

 

私が、今日、老人ホーム生活を送る糞爺になるまで年を経るに至っても、老人ホーム入居の基本料金は、自費(それまでに稼ぎ貯めた貯蓄)で賄いはするものの日々の臨時支出は、入居者たちが集まる集会の場所ラウンジ近くにヘ自室を得て、「タダ」で賄うことも多い。 例えば、外部からの音楽家(?)を招いての音楽(歌の)会は通常有料であるが、自室がラウンジに近いので、タダで美しい歌声を楽しむことができる。

 

自費でなくとも、色々なことが出来るし、楽しめる。 もちろん、タダ生活は唯(満をじして)待つだけでは、実現出来ない。 機を見るに敏感であることも必要だ。 しかし、敏感であることと「すばしっこい」こととは同じではない。 機会があれば、遠慮せずに掴むという事でもある。 機会は、恩恵者の「斟酌」によって与えられ、「斡旋」によって得られることが多い。 

 

恩恵者は、通常、目上(年上)の人である。 しかし,「斟酌」や「斡旋」を得るためには、目上(年長者)の「鼻息を窺う」、つまり、「忖度」する姿勢では果たされない。 目上(年長)の人の斟酌は、目下の者の気持ちを推し量って下される。  そうした目上(年上)の人推し量りは、当該の目上の人が信頼する友人・知人の「斡旋」を経て、下されることも多い。 しかし、こうした斟酌や斡旋は、わざとらしい振る舞いからでは下されない。 日常の何気ない振る舞いや仕草から、他人は斟酌するものである。