鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

「思いやり」は相手の主体性を損なう

相手が赤ん坊ならいざしらず、成人には、「自分」と言う認識がある。 この自分の意識は誰にとっても、本能的なものである。 従って、誰もが、自分を失いたくないと感じている。 この意識は本能的なものであるから、容易に抜き去ることは出来ない。

 

親切は、「仇(あだ)」になることがある。 それというのも、相手に「自分(我)の意識」があるからである。 この主体感は、単なる自主性とは区別されるべきである。 主体感は、心の状態であって、自主性のような「働き(作用)」ではない。 「働き(作用)」は、他人が助けることも出来るが、「感」には助けようがない。

 

思いやりや親切は、他人の「助け」を意味しているが、他人の助けはもちろん当人の主体感を損なう。 他人の助けは「要らざる介入」なのである。 その意味で、思いやりは、介護、お節介、と変わりは無い。