鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

責任感

この言葉は、高校の英語授業で学ぶ英単語だと思うが、Responsibility(レスポンシビリテイ) と普通「責任(感)」と訳されている英単語だ。 この言葉はレスポンスする、つまり、責任に敢えて応える姿勢を示している。 さらに、社会人レベルになると、覚える英単語にAccountability(アカウンタビリテイ)がある。 これも普通「責任(感)」と訳されているが、この英単語は、すすんでことを釈明し責任を取る姿勢を表している。 さらに、こうした責任の取り方の対局をなすのが、「ごまかし」、「詭弁」、「有耶無耶」の逃げる卑怯の姿勢だ。 以上、レスポンシビリテイ、アカウンタビリテイ、そして誤魔化し(卑怯)の三極から成る三角形が考えられる。

 

こうした「三」の字をなぞった逸事を考えると、思い出されるのは、長州藩の藩祖、毛利元就の「三子教訓状」だ。 毛利元就は、自子三人を呼んで、一本の「矢」を示し、それぞれの子に「この矢を折って見よ」と命じた。 どの子も簡単に折ってみせた。 その上で、三本の矢を束にして、それに再び「折ってみよ」と命じたが、今度は、矢が三本に束になっているので, どの子にも容易には折ることができなかった。 この事実から、三人の息子に協力し合う事の大切さを教えたと言うあの教訓が「三子教訓状」として知られているものだ。

 

レスポンシビリテイ、アカウンタビリテイ、誤魔化しの三極は、三方が一体となることの強靭さを示すものではない。 「卑怯」が、加わっているからだ。 長州藩士の末裔も、卑怯(誤魔化し)を「三本の矢」の一極とするようでは、束になることの強靭さは生まれない。 江戸っ子が誇るキッパリとした「潔さ(いさぎよさ)」こそ、この乱世に望まれるものだ、と言えよう。