鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

有料老人ホーム(続7)

拘束なき拘束付き有料老人ホーム:老人(高齢者)になると、多額の金を払って、不自由を贖う(あがなう)事がある。 有料老人ホームの入居者勧誘に「拘束のない」を謳っていることが多い。 ところが、その舌の根が濡れているのに、麗々しく、「拘束のない」を謳っているのである。 「介護付き」が、その表向きの言葉であるが、「介護」は、「介入」、「お節介」、「労り(いたわり)」、「おせわ」、などの別表現に他ならない。 

 

「自由」の受け取り方には、個人差があるかも知れないが、総じて「自分勝手」を意味すると思う。 身体に障害のある人はともかく、身心ともに健全な人にとっては、他人の介入は迷惑である。 有料老人ホームが健常者、異常者の「混住になる傾向があることは、既に述べている。 そこまでは良いにしても、看護師・介護ヘルパーという厄介者も存在する。 これが、医者でもないのに、横から口を挟むのである。 いや、その医者ですらも怪しい。 他人の自由を横から侵害するのは、大きく言えば、憲法違反である。

 

万民の自由を唱えた福沢諭吉は、「人の上には、人を作らず」と言った。 医者、看護師も人なら、我も人である。 我には、たとえ病魔に侵されていようとも、我行かんの気概が備わっている。 そうとは言え、介護付き有料老人ホームには、医者、看護師、以外にも、雑兵、木っ端がウヨウヨと居る。 老婆である。 しかも老婆の看護師となると質(たち)が悪い。 介護付き有料老人ホームには、老婆(心)と言う「お節介焼き」が、ワンサと住んでいるからである。

 

介護付き有料老人ホームに備わっているのは、備え付けの「介護」ばかりではないので、NPO的介護、特に、イケメン老爺の場合には、招かれざる「介護」が提供される。 たとえ、いや有料だからこそ、本当の自由は購え(あがなえ)無い。 イケメン健常自立者は、観念するんだな。 男前が運の付きだ。

 

話が大きく、逸れた。 軌道を基へ戻そう。 「有料」ばかりが問題なのでなく、「介護­(=医療、看護=介助)付き」も余分なのである。 不要な余分と無駄をたっぷり付けて、金儲けの出汁(だし)にしている事業(家=化)を、認め、推進している政府の施策にも問題がある。 高齢者の保護(?)、弾圧を考え直す本格的高齢化時代が来ているのである。 高齢者処遇のシステム自体を作り直し、構築し直すことが、強く望まれる。