鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

共立ち(友達)

人間は、死ぬときは独りだが、生まれるときは母と子の二人である。 この二人が人生を始めるが、生きる経過の内に二人立ちが不安定であることを悟り、三番目の存在、つまり父の存在を知り、これを求めて、三人で寄りかかる。 こうして安定を確保するが、この内、一人でも倒れれば共倒れになる。

 

老々介護は、共立ちの関係である。 一人が倒れれば、共倒れになる。 より安定した人生を求めて、第三者の介入を探る。 こうして人間関係が芽生える。

人間関係は、知的存在共立の関係である。 知的存在があって初めて、「関係」が成立する。 共立ち関係も、知的関係である。 老々介護も、知的関係であるからには、一方が知性を失えば関係は壊れ、共立ちではなくなり、「寄っ掛り(よっかかり)」のみが残る。 「寄っ掛り」は、一方に依る他方に対する哀れみ、恵み、慈悲、情け、を表し、他方の自立放棄を示している。

 

知性は、自立の根源である。 知性無くしては、人間の「自立」や「関係」は成り立たない。 老々介護は、人間関係と言うよりも、一方の他方に対する哀れみや慈悲、情けの関係である。 人間の哀れみの心が、広義の人間の関係、つまり、人と人の関係を維持している。

 

自立心、自律心の背景には、人間に本来備わっている主体性が存在する。 主体性は、自立心や自律心のように、育てたり、養ったり、練ったり、出来るものではない。 人間の恣意によって、どうこう出来るものではないのである。

主体性は、「備わって」いるのである。 人間存在の証(あかし)なのである。 

 

哀れみの心、憐憫の情、慈悲の心や情けは、人間の主体性に根ざしている。 惻隠の情や義侠心は、その主体性の表現である。 止むに止まれぬ衝動を生むのが主体性である。 私は、未だ確信を得ていないが、この主体性は、長年の育った子供の頃からの環境や制度によって、培われる(つちかわれる)ものだと思う。

 

翻って(ひるがえって)、現代社会に見られる老々介護の無残さ、高齢者たちの苦しみや不安を取り除き得るのは、従来からの姥捨山的「介護=拘束」ではなくて、新しい視点に立った高齢者処遇の制度やシステムの構築だと思う。