鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

年の功

人間は、年をとると、知力が増す。 年の功である。 まだ、87歳少しの若造が「年の功」をいうのも烏滸がましいが、先日105歳で亡くなった日野原重明先輩のことを思うと、ウッカリボケては居られんぞ、と痛感する。 私も若輩ながら、70歳のころにボケていたことがある。 幸い近所に、大病院があったので、そこへ入院させられていたのだが、全く意識を失っていたのである。

 

私の脳(力)、ー敢えて脳力と呼ぼうーの回復には、家族の忍耐強い協力に待つところが多かった。 家族は辛抱強く、私の脳の「徐々の」回復を見守り、助て(すけて)くれた。 しかし、今もなお、壮年時代に盛んに行った外国旅行、外国のこと、etc.の私の記憶は失われたままである。 その思い出の欠片が、写真帳(アルバム)残るのみである。 現在は、「昔は昔、現在も見つめること」を生甲斐にしている。

 

人間の脳は、死ぬまで成長し続けると、最近のニュースで聞いた。 「日々にうとし」ではなくて、「日々、新た(あらた)」らしいのである。 私の脳も、

数ヶ月の入院の途中で回復した。 突然に、昔のことを思い出した。 病院の前に在った「さくら薬局」の看板も思い出した。 そうだ、此処は私の家の近所だ、と思いだしたのである。

 

脳は使えば、衰えることはない。 いや、成長すらもする。 私事ながら、私は、パソコン教室に通い始めた。 なるほど、体力は衰えた、 しかし、知力は、益々冴えてきていると思う。 この脳は、死ぬまで冴え続け、最後には、冴え渡るだろう。

 

近頃、老々介護の悲惨さが語られる事が多い。老が老に寄り掛かり、一方が倒れれば、他方も倒れる、相互依存の状態である。 共倒れして、誰ものみ目に止まることもなく、静かに、孤独に死んで行く、二人の老人の姿である。 元々、共に立っていた共立(ともだち)の状態なのだから、死ぬのも一緒という訳か?

 

これは悲しい。 老々共立(ともだち)の制度を新しく構築しよう。 高齢者保護を唱えながら、他方で、高齢者虐待を重ねる古色蒼然たる「介護付き有料老人ホーム」を奨励する現行老人ホームのシステムを作り直して、老人の知力を活かす、新しい高齢者処遇の方式を構築するのである。