鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

言葉は思想(考え)であり、文化である

言葉は思想

言葉は観念であり、思想です。 我々は言葉を使って、外の世界で見たもの、聞いたもの、触ったもの、舐めたもの、嗅いだもの、を写し取り、そして考えます。 言葉と言う道具が無ければ、「写し取り」が出来ず、考えることも出来ないのです。 写し取りが出来なければ、もちろん、考えることも出来ません。 従って、言葉は思想です。

 

言葉は、カメラです。 言葉は、外の世界を写し取り、外の世界の物事を内面の心へ伝える手段です。 カメラの性能の良し悪しが、外界世界のあり様の写し取り方、伝え方にも影響します。 その意味で、繰り返しますが、言葉は思想なのです。 高尚・高雅な言葉使いが、高尚で高雅な思想を生み、卑猥な言葉使いや残忍なことば使いは、卑猥な考えや残忍な考えをもたらします。

 

言葉(カメラ)の性能を決定するのは、言葉の豊富さです。 言葉の豊富さは、豊かな表現力、豊富な「語彙(ごい=知っている語数の総体)」で決まります。言葉の性能を高め、磨き上げるのは、見聞の広さ、経験の深さ、文筆(書き表すこと)と読書の量です。

 

言葉は文化

どの国の人も、自国語を使っています。 その道具で、自分の国の山や川、森や海、砂漠、村や谷、その他、それぞれの環境条件を経験し、考えています。 そして、それぞれの国の科学、哲学、文学、芸術を生み出しています。 そうした国々の人たちの目に映るもの、彼らが感じるものは、それぞれ異なる筈です。 環境条件が違うのですから。 環境は、人間を育てます。 こうして、それぞれの文化の特異性が生まれます。  

 

結語

それぞれの国や土地の言葉(方言を含めて)を磨き上げることは、それぞれの国や人々の思想と文化を高め、深めることに他なりません。