鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

コミューン

おそらく創業者の半可通(無知)によるものであろうが、この名称(コミューン)を冠する大老人ホーム群が実在する。 以下は、この老人ホーム群の一つの比較的大きな施設での食事情である。 この老人ホームの歴史は古く、此処十数年に渡って存在している。 従って、経緯も比較的長く、長年の居住者も多く、苦情も絶えない。 苦情の最たるものは、食い物(食事)についてである。 この施設では、再三に渡る入居者からの苦情を無視して、高額で、常識を越えた不味い粗食を提供し続けている。 幸か、不幸か、居住者は物言えぬ(言わぬ)老人や身心障害者を主体とし、背後の家族は、実情に疎い(うとい)。

 

翻って、現代には、仲良くしているドイツ(旧プロシャ)とフランスにも、仲の悪かった時代が在った。 比較的近世の彼らの諍いは、ナポレオン(1803~1815)の時代に起こった。 更に、近くなると1870~1815の普仏戦争の時代に起こっている。 普(プロシャ)とフランスの戦争においては、プロシャ軍が優勢で、プロシャの大軍がフランスの首都パリを包囲した。 当時のフランス各地では、人民による「コミューン(市民共同体)」が組織され、当時の帝政の政府と争っていた。 パリ市に於いても事態は変わらなかったが、プロシャの大軍に包囲された市民にとっては、食料、医療、その他の救援を外部に依頼することは不可能であった。 

 

いかんせん、武器に恵まれない、しかも、強力なプロシャの大軍に包囲されたパリ市民には救援を求めるすべ(術=方法)がなかった。 そこへ市民の間から英雄が現れた。 その後、フランスの首相にまで進んだガンベッタ氏(現在パリ地下鉄の駅名に成っている)が、その人である。 彼は、奇想天外な方法で、外部と連絡する術(術)を考えだした。 その後、飛行船の元となった気球である(現代なら、インターネット=電波がそれに当たるだろう)。 彼は、気球に乗ってパリ市外へ逃れ、義勇軍を募った。 

 

長年に渡って、高額で、不味い、非常識な粗食に悩む現代の「格子無き老後苦(牢獄)」である(終身の=高齢者=ライフ)コミューンを終の棲家とする住人に対する救援隊は、外部に求めるより他に方法がない状態にまでなっている。 施設(牢獄)内部には、老人、身心障害者しかいない、とまで極論出来るから、外部からのNPOの助けを借りるより術(すべ)はない、とまで言えよう。