鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

化   粧(2) (作り物)

 

男役

1928年に東京松竹楽劇部(後の松竹少女歌劇部、松竹歌劇団)に第1期生として入団。日本の女性歌劇史上初めて断髪した男役で「男装の麗人」の異名を取り、「ターキー」の愛称と共に1930~40年代にかけて国民的人気を博した人がいました(ウイキペディア)。 女も、見掛けだけなら男にもなれるのです。

いや、最近の発達した技術を使えば、当人が希望し、医学的、法律的に是認されるなら、本当に、女を男性にする事もできるようです。

 

小林一三(1873-1957)

この事業家は、 現役時代、「清く、正しく、美しく」、退団後は「良妻賢母」となる日本女性の育成を目指した宝塚を創立。 今も変わらぬその路線を敷いたのは事業家、小説家、政治家、茶人など多彩な顔を持つ人でした。  彼が始めた有名事業の一つに、宝塚歌劇があります。 この宝塚歌劇の女(?)優になることを願う若い女性も多く、 関西版(?)松竹歌劇。 (関西の)宝塚の方が先ではないかと思いますが。 ともかく、キリッとした男姿に憧れ、美しい男姿に身を窶す(やつす)ことを願う若い女性が多くいました。 

 

女形

他方、女姿に身を変える(幕府の禁令の故もあり)野郎(男)も、職業として存在しました。  いわゆる、女形です。  坂東玉三郎さんのライバルは、沢村藤十郎 中村時蔵 両氏辺りでしたが、藤十郎さんは闘病生活に。 その下は、中村福助中村扇雀中村七之助、中村菊之助、といった辺りが~。。。Yahoo Japan 知恵袋、2017年) この人達は、全員が男です。

 

芸子(芸者)、舞妓と京言葉

彼女たちの活動の場も京都の花街の中だけにとどまらず、他の都市からの招聘を受けて丶出張公演を行うように、活動形態も変わってきてもいます。。。幼いときから舞妓として仕込まれる生粋の舞妓さんがほとんどいなくなり、地方から舞妓志願をしてきて仕込みつ子として舞妓に 。。。町で育った娘たちの中に丶テレビなどの放映で観た舞妓たちの姿と心意気(心ばえ)に魅せられる女の子、特に外国人が、少しづつ現れてきています。 そうした地方からの娘達は、もちろん、外国人たちに京言葉が話せる筈がありません。 彼女たちは、言葉まで、仕込みっ子なのです。 それでも、外見は、芸者、舞妓として通用します。

 

京都の方言は上品だと言われます。 そのため、京言葉に憧れる方が多いそうですね。 とはいえ、一般の京都人が使う京言葉はある程度限定されており、すべての京言葉を使いこなすのは、京都の芸者、舞妓さんぐらいです。 現在は、決まりがあるわけではありませんが、 「京言葉」は、京都市周辺の住民が、日常会話で使う言葉です。 「京言葉」と言う呼称は、御所言葉(公家言葉と女房言葉)と街(まち)言葉の総称として使われています。  街言葉は、代表的には、室町(時代)の問屋街の言葉なのです。(ウイキペヂア)

 

仕込み(化粧)礼賛

仕草も、顔化粧も、いわゆる立ち居振る舞いの全てが、長年の苦労と努力を経て、なんでも仕込めるのです。 あけすけに言うと、遠目なら綺麗でも、近くで見ると、皆んな作りものなのです。 では、ダメかと言えば、そうでもないのです。 良いものはエエのです。 お化粧しなされ。 化けものでも、エエもんはエェ。 作り物でも、お化け屋敷のお化けが怖いように。