鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

差 別

この問題については、私自身の考えがまだ十分に煮詰まっていないのだが(つまり、迷っているのだが)、賢者のご教示を仰ぎたい。

 

昨年まで(今年は、老齢のため体力が衰えたので、避けた)、毎年、5月の終わり頃、梅雨が来る前で、ゴールデンウイーク後の人(観光客)が少なく天気の良い季節を狙って、故郷の街へ帰っていた。 私の故郷は、世界的にも有名な観光都市であるため、我が国の内外からの観光客の訪れが多い。 故郷を離れてから、50年以上も経っているので、現存する同胞(両親、兄弟姉妹、等)も少なく、近年は帰郷するとホテルに滞在するのが習わしにしていた。 

 

ホテルに泊まると、外国からの観光客と同宿することも多い。 よくぶつかるのは、隣国からの団体客の集団で、この集団とぶつかると、迷惑を被ることが、再三であった。 すぐに感じる迷惑は、翌朝の朝食のときに起こる。 私は、住み慣れていた故郷のことであるから、比較的宿泊賃の安い2~3流のホテルに泊まるのを常としていたから、朝食はバッフェ・スタイルで提供されるのが普通であった。 

 

このバッフェ・スタイルの朝食の時に、隣国からの集団客が群れをなして朝一番に食堂へ集まってくる。 彼らの一人一人が、自分が食べられる量を測りかねるらしく、手当たり次第に共用のテーブルに出されている料理を、ドレコレの区別なく自分の皿に盛り上げ、自分のテーブルへ戻ってゆく。 日本人客が、共用テーブルへ「ようやく近づいて」自分の分を盛り取ろうとしても、残っている料理が殆ど無い。

 

この一団が、その日に予定された観光に急ぐらしく、「サッと」一斉に過ぎ去ってゆくが、その過ぎ去った後の諸テーブルの跡の姿が、凄まじい。 アッチコッチに食べ残越した残飯の山! 「食えないのなら、始めっから取らなきゃ良いじゃないか」と考えるのは、浅はかな日本人客。 「食わなきゃ損」の精神が、隣国の国民たちには、染み込んでいるらしい。 

 

彼らの背中にも、生まれて暫らくの間は、「蒙古斑」があるやに聞く。 私も、モンゴロイドの一人。 もちろん、生まれて暫らくの間は、背中に「蒙古斑」があった筈。 では、彼らも私と同種ではないか。 しかし、あの食卓での凄まじい有様は、許せない。 「あん畜生!」。 この侮言は「差別意識」の現れだろうか?  ところが、聞くところによると、この隣国では、「提供された料理を食べ残すことが、良いマナーだと考えられているとのこと」。 「えぇ?」

私には、差別意識はないと思う。 だが、あの「集団の多数の人達の」押し並べた類似行動! 

 

ヒットラー(ドイツ人たち)は、ユダヤ人(達)を、集団虐殺した。 では、ドイツ人にユダヤ人に対する「人種差別」の気持ちがあった?  では、私に、隣国の国民に対する「差別意識」がある? この意識は、いわゆる「差別」の意識ではなくて、What? 説明は出来ると思う。 文化、習慣、等の「違い」。 これが、相手を嫌う気持ちを産んでいるのだ。

 

比較的裕福な人たちの、いわゆる「貧乏人」に対する意識、都会に住み慣れた人達の、「田舎から出て来た(方言や訛りの)人達」に対する「侮蔑感」、知恵や能力が遅れたり、劣ったりしている人達に対する軽蔑、健常人と認知症患者、ボケ老人たちの「混住」を余儀なくさせられている老人ホーム内での健常老人の異常老人に対して抱く軽蔑の気持ち、哀れみ感、慈善心、これは全て差別感の現れだろうか? 

 

私は、違うと思う。 と言って、もちろん、人間の皮膚の色の違いによる違和感でもない。 単なる生まれ育った環境や現在の環境などの違いによる違和感ではない。 では、何か? 私は、説明に「詰まる!」 

 

しかし、何か文化人類学的(それとも、心理学的)な説明があるのではないか? 

 

ここが、現在、私が賢明な諸賢の教示を賜りたいところである。