鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

気が咎める(老人ホーム混住の愚)

この日本語を英語で表現してみると、Suffer from a guilty conscience(罪の意識に苦しむ)、または、feel uneasy(落ち着かない) (うえぶ=Webより) となるそうです。 英語を読むと、よくわかりますが、そこには、「罪の意識」があります。 だから、I cannot do, in all conscience, such a thing(とても、そんなことは出来ません)となるのです。 つまり、再び、日本語で、言ってみると 「悪いことをした、よくないことをしたと内心では感じている時」にこの様な表現(気が咎める)を使うのです。

 

こうした「気が咎めている」と思われる表現をある老人ホームの玄関先で見ました。 そこの掲示文には

「身体拘束の無い介護を目指しています」

とありました(文章が少し、及び腰です)。

 

言葉尻を捉えるようですが、では、現在は、拘束はあるのですか? あります。 何人かの入居者は、ここは「格子無き牢獄」だと言っています。 事実、玄関には、常時、鍵が掛けられています。 拘束の無いのは、「目指して」いるところなのです。 現状は、目指すところに至らない、という意味なのでしょう。

 

現実には、その老人ホームでは、「有料で」such a thing(つまり、拘束) を行っています。 しかし、「気は咎めて」居るのですね。 この目指すところ(無拘束)と現状との違い(ギャップ)の日本人的(?)撞着は、どうしたことでしょうか? 私は、入居者に多くふくまれる痴呆老人や認知症患者のことを考えると、この経営者の気持ちを斟酌・推量出来ますが、お金をお取りになっていらっしゃるから、忖度は出来ません。

 

昔、ある政党の女党首が言ったように、「ダメなものはダメなのです」。 

 

鉄道大臣
それに、鞍馬天狗