鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

老人ホーム混住が齎す(もたらす)高齢者の孤独化

 

近頃、世間では、高齢者の孤独死の問題で喧しい。 地域社会に入れられないために、誰一人見守る人もなく、黙って寂しく死んでゆく高齢者の問題である。 周囲の温かい見守りの必要が叫ばれる所以である。 では、多くの仲間の居そうな、老人ホームに入って、そうした孤独な環境から逃れるか? ところが、現実は、そうでもない。

 

近頃の「有料介護付き老人ホーム」は、入居支度金(前渡金)が高額であるのみならず、月々の管理料収入を増やすべく、健常、異常(ボケ、認知症、etc.)の区別なく、「金さえ払ってくれれば」入居させると言うポリシーをとっている。

その結果、老人ホームは健常(自律)、異常(ボケ、認知症、etc)が、混住する状態になっている。

 

老耄や認知症に基づくボケ老人は、他の健常の人達とは、正常な人間関係(人付き合い)が営めない。 要するに、正常に話し合えないので、いわゆる正常なコミュニケーションが図れないのである。 混住の老人ホームでは、否応なしに、健常(自立)老人は孤独な状態に追い込まれる。

 

しかも、居住空間は、昔の棟割長屋(ハーモニカ)風に個室に区切られている。

たとえ、共用の大部屋(例えば、食堂やラウンジ)があるにしても、(共)ではなくて、(混)用になっている。 そこでも、健常老人の集団(十分な数だけの健常老人が住んでいるとして)が他の異常者たちと離れて、大部屋の片隅に集まる以外には、人間「関係」を形成する余地がない。

 

ところが、健常状態を保っている老人の数は、世間でも意外に少ない。 ましてや、異常老人を送り込みがちになる姥捨て山的老人ホームでは、健常老人の数が圧倒的に少なくなる。 健常老人のみの集団を、有料介護付き(混住)老人ホームの中では形成し難く、基本的傾向として健常老人も「孤独」になりがちなのである。

 

この健常老人を孤独化から救う放略を考えだすのは、おそらく行政の問題であろうが、肝心の行政は、老人ホームの「有料化」を支援し、問題の核心(混住)から、目を逸している。