鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

面壁九年

面壁九年とは、一つのことに忍耐強く専念すること。また、長い間わき目もふらずに打ち込んで努力することのたとえ。

 

達磨(だるま)大師が、中国の嵩山(すうざん)にある少林寺に籠り、九年間も壁に向かって座禅を組み、悟りを開いたという故事から。『景徳伝燈録』

 

注意:九年は、「きゅうねん」とは読まない。 「くねん」と読む。

 

私が住む老人ホームに、一人の車椅子に乗った男性知的障害者がいる。 この人物、時に奇声を発し、また時に、見境なく口に入れられる食い物なら、なんでも、誰のものでも、誰かの食い残しであっても、手当たり次第に自分の口へ入れる。 見境なく、口へ食い物をいれる問題は、傍にいるヘルパーが、これを止めることで何とかなるが、時と場所を構わず奇声を発する音大は、処置の仕様がない。

 

この老人ホームでは、3度の食事を入居者のほぼ全員が、一堂に会して摂ることになっている。 この知的障害者は、どうした理由に依るのか、四六時中、施設の中央にある食堂(ラウンジ)に置かれている。 そして、時に場所(と言っても、食堂内だが)を構わず、時間も構わず(皆んなの食事時間中を含めて)奇声を発する。 そこで、この男を皆んなが座る食事テーブルに一緒に座らせないで、壁際に特別のテーブルを設えて、そこに座らせることにした。

 

言うなら、車椅子に乗って徘徊する時間は別として、四六時中、壁に向かって、座らせられている訳である。 正に、面壁九年、達磨大師の修行を地で行っている訳だが、少しは悟りを開くかと思っていても、一向にその節が見えない。

 

知的障害は、九年の修行ぐらいでは治らない。 こうした病的患者と、一緒の生活を強いられる老人ホームは、自分の親を入れたくなるような老人ホームであろう筈がない。 これが、知的障害者との混住を強いられる健常老人の悲惨な有様である。 拘束のない老人ホームを謳うのは良いが、金儲けのチャンスを振り切ってでも、障害(異常)と自立(健常)との混住の無い老人ホームを謳うべきである。