鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

知的障害者

知的障害者は、物言わない、いや、者言えない。 最近になって、漸く、知的障害者の受ける(そして、与える)諸問題が、マスコミなどでも取り上げられるようになって来た。 しかし、知的障害者の問題は以前からも、存在していた筈である。 この問題が、世に知られなかったのは、彼らが物言わぬ、いや、物言えぬ者たちであったからに違いない。

 

知的障害者の問題が、マスコミに大きく取り上げられるのは、彼らを扱う(?)施設に問題が発生したからである。 彼らの問題が、個々の小さな事件として発生していたのなら、「マスコミ」の目の届かぬ小問題として、葬り去られていたに違いない。 しかし、今や大問題である。

 

施設(?)は、一種の「治外法権」の世界である。 例えて言うなら、昔の諸大名の領地内である。 この中の出来事は、全て領主の領内の問題として処置される。 幕閣の手の届かぬところにあった。 今様に、言い換えるなら、行政の直接容喙せざる(できない)ところに、知的障害者の問題は存在した。

 

しかし、如何に諸事、民間の出来事に疎い(うとい)幕僚といえども、幕政の本来の基盤となる「民衆」が被害を被っているとなると、口をつぐんでいる訳にはいかない。 今や、そのときは来ている。 

 

(有料)老人ホームは、知的障害者身体障害者、健常高齢者たちが、混住する場所である。 しかし、他の私的機関同様に、治外法権化されている。 行政の直接的な手の及ばぬところにある。 施設内の諸事は、通常、その管理権者が有能であるか、無能であるかを問わず、施設の管理者に委ねられている。

施設内の苦情、問題、事件は、まず、その施設の管理者の手で処置される。

 

施設管理者が無能であったり、油断をしていたりすると、マスコミを騒がせる事件になる。 事件になるまでは、「寝た子は、起きない」。 太平無事である。

しかし、フランス革命以来の人民のリガリテ(自由)、エガリテ(平等)、フラタニテ(博愛)、の気持ちが騒いで、内乱(最近の言い方では「内部告発」)が起こることがある。 いや、そこまで、昔に遡らなくても良い。 近くは、♬ 聞け、万国の労働者~♬の歌もあるではないか。