江戸っ子(東京人)の間の関西人(大阪人)の評判は悪い。 最大の理由は、彼らが概してケチ(ケチンボ、しぶちん)だという点にある。 ケチとは、金銭にしわいことであるが、そのような人物を守銭奴とも言う。 では、守銭奴についての諸例と解説を見てみよう。
金を溜め込む事、金銭そのものにばかり執着し、必要な場合にすら金を出さない(出したがらない)人物のことを指す。 吝嗇家、金の亡者とも呼ばれる。
いわゆる倹約家や、目的があって金銭を欲している人物とは区別される。 ただし、後者の場合でも、金銭が絡む事柄に対するその人物の執念が強烈であったり、行き過ぎたものである場合、他者からは守銭奴と評価されてしまう事もある。
様々な物語における定番の悪役であり、最初は貧乏だった主人公が最後には幸せになることが多いのに対し、守銭奴は大抵酷い目に遭っている。 日本では、似たような童話として、『舌切り雀』や『瘤取り爺さん』などの話が有名である。
ただし、外国の作品ではまた違った扱いや解釈をされることも多い。 ディケンズの小説『クリスマス・キャロル』のスクルージは改悛が示唆されているし、シェイクスピアの名作『ヴェニスの商人』に登場するシャイロックは、単なる業突く張りの悪役というだけでなく、喜劇らしからぬどこか哀愁の漂う解釈が付けられる事が多い。
石田梅岩
京都に輩出した偉人の一人。 丹波(現京都府亀岡市)の農家の次男として生まれ、京都街中(御池通り近辺)で奉公し、独学にて、石門心学を起す。 江戸にまで名声が轟き、時の老中、松平定信(この男、将軍の親戚)、を始め多くの大名の支持をえた。 拠点は、亀岡(京都の隣接地:京都府下)。 石門心学は庶民に分かりやすい三徳(正直、倹約、勤勉)を説いたので、瞬く間に、日本を席巻し、武士,商人の哲学となった。(Webより)
ケチと倹約は、違いまっせ。 なお、関西人(大阪人)は、倹約、俗に「ケチ」を「始末」と混同しはります。 そやさかい、ケチ、倹約は、始末とはほぼ同じですがな。 ケチと節約、始末の境界は難しおっせ。 皆んな背中合わせに成っとるさかいな。
(ある例) 母の入院の間、父と私とで家事をする一環として食材を購入、調理することになりました。 父は食べることに少し無頓着なところがあります。 父(後期高齢者、自炊経験なし)は、一定期間に使い切れるかどうかの視点ではなく、値段だけで。安ければ食材を買ってくる傾向があります。
飽きの来ない食生活という視点から、必要なものを適量だけ買うのが良いと考える私(40代、自炊経験10年)は「無駄や。始末せえ」と父から屡々意見されます。 ところが、「始末」とは私の中では、井原西鶴の『日本永代蔵』などにも出てくるドケチ男のイメージでしかありません。 父の言い方はそれを追認させるものです。
さて、チゲの具材として白ネギを買おうとして、父から「無駄や。始末せえ」と言われたことで今回かような質問を挙げた次第ですが、ある回答者様から
(回答)
(始末とは)食べ物を慈しむ心ですよ。 大根やニンジンの皮を捨てずに皮で料理を作るのも「始末」なら、ネギの根っ子を土に埋めれば葉が出てきて味噌汁や薬味に使う、と考える、これも「始末」です。」
(以上、Yahoo! Japanより)
(ケチ、すなわち、ケチンボ、しぶちん、とは)、食べるものも食べないで、腹を空かせながら我慢して、もちろん、家族を含めた他人にも与えずに、生活と食物に使うべき金を特定の目的もないのに、自分だけの満足のために、溜め込むのが、おそらく、それに当たります。
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以上筆者(念の為:筆者は大阪人ではありません。高齢の京都人です)