鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

混住は臭い

 本日のブログのテーマは、臭覚。 秋刀魚のシーズンだ。 こんがりと焼けた良い匂いの焼き魚は、混住の老人ホームでは期待できない。 期待しなければならないのは、臭い「糞尿の香り」。 集会だ。 馥郁と(いやぁ、日本語では、プンプンの方が相応しい)した臭いが、そこはかとなく漂ってくる。 隣に座っている奴だ。 さり気なく(おそらく、自然に、かつ、気付かずに)お漏らしをしている。 

 

最近は、ボケ老人、認知症患者の数が増えてきたので、この有料老人ホームも、多くの入居者、とくに健常な隠居老人、にとっては、香り(臭いにおい)が濃く漂う(人生の終末の)ウタカタ(泡沫)の宿と成り果てている。

 

注:ウタカタ(泡沫)とは、

1 .水面に浮かぶ泡 (あわ) =「泡沫の如 (ごと) くに消えるもの

2 .はかなく消えやすいもの

のたとえ。

 

十数余年、私はこの系列の老人ホームに暮らし、多くの仲間(?)がこの世を去って行くのを見た。 日毎に、古い仲間が去り、新しい仲間が紹介される。

 

新しく入ってくる連中には、目立って「障害者(精神、身体の両方の)」が多く成ってきた。 身体障害者はともかく、精神障害者とは、知り合うことが不可能である。 それどころか、精神障害者の中には、暴力を振るう者も居るので、近寄り難い。 また、身体障害者にも、それまでに、世間のつれなさを感じさせられてきたのか,いじけたり、すねたりしている者も多い。 自立する健常な老人(隠居)には、身体障害者も近寄り難いが、哀れにも見える。

 

終末介護という言葉がある。 気息奄々(きそくえんえん)となった死の直前の人に対する特別の介護を言うらしい。 聞くところによると、病院でも、死を迎える人を、長くは置かない、と言う。 死を自宅で迎えるか、他所出迎えるかの決心は、当人に意思だけでなく、境遇にも依ると思うが、多くの場合、仮住する老人ホームから、死の直前に、救急車かなにかで、適当な(?)病院へ移動させられて、死を迎えることが多いようだ。

 

死は予定通りには来ない。 土壇場の苦しみ(?)を、老人ホームで経験する老人が圧倒的に多いと思う。 予定(?)より早まって、老人ホーム在住のまま、死の迎えが来ることすらもあるだろう。 その場で立ち会う人が、家族であるとは限らない。 老人ホームの「ヘルパー」や「職員」、「ナース」であることも多いに違いない。

 

その場に漂う匂い(臭い」は、糞尿の臭いばかりではない。 死を迎える人の呼気の異様な臭い、体臭、そしてもちろん糞尿の臭い、これらが、混ざりあった一種説明し難い臭いが周囲に漂う。

 

翻って、他の部屋には、この事情を全く心得ない健常な隠居が暮らしている。 「知らぬ顔の半兵衛」という表現があるが、この場合は、「知らぬが仏」という方が相応しい。 隠居は漂う異様な臭いに、ただ顔を顰める(しかめる)だけで済む。 ところが世間は狭い。 老人ホームの老婆たちは口さがない。悪事(?:凶事)は、千里を走る。 Almost immediately に事態は発覚する。 元々、話題に事欠く世界だから、暫らく、追憶の話題で喧しく(かまびすしく)なる。

 

混住の老人ホームに、十数余年も暮らしていると、老後の世界のいろんな側面を見たリ、聞いたり、経験したりする。 場合によっては、「知らざぁ、言って聞かせやしょう」の心境になる。 最近、入社(?」したばかりのヘルパーが、指図がましい事を言おうものなら、ヘナチョコ小童め「チョコザイ」な、と逆に教えてやることも少なくはない。 「臭い(におい)管理」と清潔さを何とかしろ!と叱りたくもなる。

 

濡れて、汚れたオムツを手に携えて、廊下をウロウロするのは、言語道断だ。 その手で、今朝の食事の配膳をやったのか? 手はチャンと洗ったのか? 忙しいときの手洗い(便所じゃない)は、確実か?