鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

自己開示

自己開示とは、「自分がどういう人間かを他者に知ってもらうために、自分自身をあらわにする行動を指す」(榎本、1997)らしいが、この行動と自己の「プライバシイ」保存の関係が、教育、人間関係保全、ネット(ブログ、etc.).の世界で問題になっている。 また、プライバシイとは、どのような条件下で、自分自身に関するどの情報、どのような条件下で、他者に伝達されるべきかを自分で決定できる権利」(ウエステイン、1972)とされる。
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自己開示は、他人の「信頼」を克ちとる手段としては有効であるが、自分をさらけ出すことから、自分の「弱み」をも見せることにもなる。 他人に恥じることころのない人にとっては容易なことかもしれないが、隠し事、内緒事、を抱えていると、自己開示は容易ではない。 「天上天下、恥ずることなし」と言える人は、あまり居ないだろうから、自己開示出来る人、事柄、つまり範囲は、自ずから決まってくる。

 

しかし、自分の内緒事を打ち明けることの出来る相手とは、深く、固い絆(きずな)が生まれるだろうから、よい人間関係(つまり、信頼)築かれることも、言を待たない。 その意味で、自己開示は、善い人間関係、信頼関係、構築の有力な手段になる。 

 

翻って、相手が正常な人でない場合は、当然、自己開示は出来ないし、しても無駄になる。 相手がボケていたり、認知症を患っていたりすると、自己開示はありえない。 従って、周囲が、ボケ老人、認知症患者にとり囲まれた老人ホームでは、自己開示は、不可能であるばかりか、意味のない行為であるとも言える。(鉄道大臣のブログ「ボケを誘う混住老人ホーム」参照)