鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

主体性(2) (主体性確立の実際)

実存主義(じつぞんしゅぎ、フランス語: existentialisme、英語: existentialism)とは、人間の実存を哲学の中心におく思想的立場。あるいは本質存在(essentia)に対する現実存在(existentia)の優位を説く思想。実存(existenz)の元の邦訳は「現実存在」であった ...(ウイキペヂア】

 

(前略)「随所に主となれ」は、いまから千年以上の昔、臨済義玄のいったことばである。 どこにいても、どのような立場似合っても、主体性を失わない。いかなる場合にも、他によって、自己を乱されることなく、自分を見失うこともなく、自由である、そうあれ、と言うほどの意味らしい。・・・(中略)・・・具体的に「随所に主となる」ことができるだろうか、もしできるとすれば、どうするのか。 (中略)ある朝、この公案は解けた。実際に、われわれは、随所に主となることができるのである。 どうするのか。 ひとに饗応するのである。【以下略】…戸山滋比古著「知的な老い方」

 

私も、私が出来る具体的方法について考えてみた。 その結果、私なりの方法を考え出すことが出来たと思う。 それは自分の立場、私が持つ限られた小遣、から言って、「ささやかな心付け」を、他に人にあげることである。 「物をあげる」ことは、たとえささやかなものであっても、上げる立場の自分の「主」体性をハッキリさせる(上から目線で威張るでなく)ことに繋る。 

 

そういえば、「心付け」は、英語で言う「チップ」に相当する。 アメリカ人たちの習慣では、チップを上げることは、日常の問題である。 気前よく「keep

(the) change=釣りはいらねぇよ」と言うアメリカ人は、その都度、習慣的に、無意識の内に、主体性(自意識)を確認しているのだ、ともいえる。 

 

と言って、私の場合は、アメリカ人がするように全てのサービスに、毎回、心付けを渡していたのでは、私の財布が持たない。 私の気に入ったサービスを、誰かがしてくれたら、その人に(人を見て)相応のささやかな心付け(物)を渡すことを通して、自分の主体性の存在を確認することにしているのである。