鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

「気」は不思議なものです。 人間の身体の何処に「気」があるのか知りませんが、生活の随所に「気」が現れます。 気分、気持ち、気心、気力、生気、気が弱い、気強い、気が咎める、気が進まない、気風(きっぷ)が良い、数え上げると、キリがありません。 しかし、「気」は、物体であるとは言えます。 というのも、気分が良くなると上気(蒸気)して気分が軽くなり、気分が落ち込むと重くなるからです。 明らかに、気は質量を持っているのです。

 

では、世の中では、気のことを何だと思っているのか。 それを調べてみます。

 

注:一方では人間は息をすることで生きているという素朴な経験事実から、人間を内側から満たし、それに生き物としての勢力や元気を与えている、あるいはそもそも活かしているものが気息であるという概念が生まれる。 そしてまたそこには、精神性、霊的な次元も、生命的な次元と区別されずに含まれている。 ただし、精神的な次元は、後代には理の概念によって総括され、生命的な力としてのニュアンスのほうが強まっていく。

 

他方では、息は大気と連続的なものであるから、気象、すなわち天気などの自然の流動とも関係付けられ、その原理であるとも考えられていく。 自然のマクロな事象の動的原理としての大気という経験的事実から、大気にかかわる気象関連の現象だけでなく、あらゆる自然現象も、ひとつの気の流動・離合集散によって説明される。 (パソコンより)

 

難しいなぁ。 これを読むだけで、すでに「気息奄々(気息奄々)」に成ってしまいます。 兎に角、私が「気」にしているのは、前者の「人間の内側」を満たしている物質のことです。 それが質量を持つ物体ではないかと、私は言い出しました。 質量を持つ物質が、人間を内側から満たしているのですから、身体は重くなります。 誰もが「奄々(えんえん)」となるのも無理はありません。 道理で疲れます。 病気になります。 (医者は儲かります)。 そこで、貧乏人の多い中国では、「気功法」なる(民間?)医療法が発達しました。

 

注:」中国では中医学経絡理論などと結びついて、健康法として太極拳と同様公園などで広く行なわれてきた。 また、一定の医療効果を上げてきたので、中国では病院や療養所などで気功科を併設している場合もある。 (ウイキペディア)

 

気が弱いと、引っ込み思案になります。 高齢者は、老化とともに、体力も衰えてきます。 体力が衰えると、気力も衰えます。 これは堂々巡りです。 しかも、悪循環です。 気を奮い立たせると、元気になります。 その先は、良循環です。 堂々と人生を進めます。 高齢者も、年を取ったという事実だけで、気を落とさないで(放っておきゃ落ちますよ)、気を引き立たせるんですな。 そのためには、私は(足が悪いのですが)次のことを心掛けています。

  •  すること(読書、慈善、趣味、軽作業、)を見つけること。
  •  飲食(旨いもの、若者の食物に匹敵する栄養価の高いもの)を

 遠慮なく、小遣いの許す範囲で、高いものでも控えずに食うこと。

  •  外出し、物事を観察して、見聞を広めること。
  •  世間の人の話や新聞、テレビに耳を傾け、情報を求めること
  •  考えること(頭を使うこと)

 

「気は持ちようだ」、などと言いますが、どう持つかは、自分が決めるのです。 高齢者にも、自分はある筈です。 だからといって、若者を押しのける必要はありません。 頑固である必要もありません。 しかし、専守防衛は、我々が築き上げてきた日本国の信条でしたな。 自己は、守るのです。