鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

太鼓持ち

「いつの世にも、悪は絶えない」は、某作家の某題名の小説をテレビドラマ化した番組の出だしの言葉である。 同じように、いつの世にも、権威者の陰で、うごめく「提灯持ち (太鼓持ち 、腰巾着、 茶坊主)」の存在は絶えない。

 

現政府の総理大臣にも、太鼓持ち的XX長官がいる。 私が通う某総合病院にも、各担当医に付けられた(配属された)看護師がいる。 各担当医の部屋のドアには、麗々しくその看護師の名前が掲げられている。 彼等は、特定担当医(例えば、総理大臣)の仕事に関わる些事(医者の言い間違いの訂正・補完、その他の後始末を主たる任務とするらしい。

 

医者の場合、こうした太鼓持ちの診察前後の働きは目まぐるしい。 担当医の部屋の外で、予備的問診を幾つかしておいて、それを担当医に伝える。 医者の診察中は、横から口添え(患者の意向、陳述、希望、を屡々、無視して)をする。 診察後は、関係事務手続き案内(これは、役立つことがある)もする。

 

有料老人ホームの施設には、大抵。男女を問わないナースという代物がいる。 しかし、一般的には、いまもなお女性である。 ナーシング(Nursing=看護、授乳、養育)と言う優しい響きの英語があるが、この言葉は、有料老人ホームの施設の中では、「見ると聞くとは、大違い」の俚言さながら、痛くもない腹を探る中老婆の代名詞である。 逃げ場の無い老人ホームと言う牢獄のなかでは、太鼓の響きは嫌でも、耳に入ってくる。

 

老人ホームのお節介焼きの老婆たちも、同じように、頼みもしない助言を横から、タップリ聞かせて呉れる。 お節介焼き老婆の場合は、こちらに「XX病」といった特定の問題がないから、お節介はそのまま、ズバリとお節介太鼓として響いてくる。 「うるさい、少しは黙ってろ」が、こちらからぶっつけたい反応である。

 

「太鼓は他所で鳴らせ! こちらにとっては、うるさいだけだ」。 老人ホームの太鼓は、「いつの時間も、絶えない」。 それどころか、数も多い。 施設の中を、鳴り渡る。 甚だ不謹慎ではあるが、心ひそかに、「早く死んでくれぇ」と念じたい老婆も居る。 いつの世、何処の場所でも、太鼓は鳴り響く。