鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

人間の身体の総体的治療

先日、体調が悪くて、ある病院へ行った。 体調が悪いと言っても、老人のことだから、腰が痛い、足がだるい、胃の調子が悪い、良く物が見えない、とまるで、病気の百貨店のように、いろいろなところに、不調を感じているのである。 江戸時代なら、こんな時には、町内や村の医者へ相談に行った。 現代では、様変わりしている。 まず、近所の開業医(町医者)にかかり、あまりアッチコッチが悪いので、その開業医の手には余ると判断されると、それから「紹介状」と言う大層な文書(?)を町医者から拝領して、「総合」病院へ駆けつける。 ところが、現代の「総合」は、総合じゃない。 江戸時代の町医者は、キチンとした医者なら、殆どが「本道」を嗜んで(たしなんで)いた。

 

江戸時代なら、お医者様は数少ない街のインテリ。 そのお医者様へ、よろず相談事を持ち込むのが、街のしきたりあった。 借金は別として、民事、公事、夫婦喧嘩、町内の揉め事、生活の諸問題、一事万端、全てご相談申し上げたものであった。 ところが、現代の医者は違う。 全然、日常生活の役には立たない。 「私の科では、糖尿病を扱っています。 腰の痛いのは、私の担当ではありません」と木で鼻を括ったように若いのが言う。 さりとは言え、「腰の痛み」が消える訳ではない。 はて、では、どちらの先生へ?  「整形外科?」。 なるほど、では私の足のダルイのは、どちら様へ?   話が複雑、かつ専門外になってくると、おそらく、この糖尿病専門の先生は心のなかで「そんなかと知るもんか、てめえで、探しな」とでも、嘯いているに違いない。 人の身体は、寄木細工じゃない。そんなにブツ切りにされちゃたまったもんじゃない。 

 

 漢方外科(そして、本道)について

(ある北海道の病院の説明)当科は鍼灸治療を中心とした診療を、主に入院患者様を対象に行います。  古代中国医学が日本に伝来し、日本の伝統医学である漢方へと発展しました。 その漢方医学は本来、湯液(とうえき=漢方薬)と鍼灸がその両輪です。 中国最古の医学書である『黄帝内経(こうていだいけい)』には鍼灸が中心に書かれており、現在の外科手術などを担当していたと考えられています。 すなわち漢方医学において鍼灸は外科であり、その数百年後に集大成された湯液は内科と理解できます。 なお、日本に現存する最古の医学書『医心方』にも鍼灸医学は記載されていて、江戸時代までは湯液とともに医科本道として日本の医療を担ってきました。 (ウイキペディア)

 

私が掛かっている「総合」病院には、「本道」科がない。 では。外道(げどう)と訊けば、そうでもない。 あるのは、「ブツ切り」科である。 従って、通院毎に、その時の病気の種類に応じて、院内を駆け巡ることになる。 では、日本のすべての病院が、「ぶつ切り専門」科かと訊けば、そうでもないらしい。

 

東京のある「総合」病院の「総合診療科」の案内には、次のような説明がある。

総合診療科は2014年6月に発足した新たな診療科です。 どの診療科を受診すればよいのか分からない患者さんに対して、最初の窓口としての役割を担います。 地域の様々な医療機関から、患者さんの受診するべき特定の診療科を決めるのが困難な場合、総合診療科にご紹介を頂いています。 また、健康診断でいくつかの臓器にわたる異常を指摘され、受診する診療科に困った際にも総合診療科を受診・紹介してください。 患者さんのニーズに対応した医療を、専門各科と連携しながら幅広く提供いたします。

 

総合診療科は、診断のついていない健康問題を抱える患者さんに対して、臓器の枠にとらわれない横断的な知識を生かして、幅広い医療を提供することを目標としています。 臨床の経験に富んだ医師が、診断・治療に難渋する患者さんの問題解決に全力であたります。 専門の診療科への紹介状を持たない患者さん、あるいは、どの診療科を受診すればよいのか分からない患者さんに対し、外来で診療します。 診療の結果、専門診療科への紹介が好ましい場合には、速やかに連携して患者さんのニーズに対応します。 現在、総合診療科では、入院患者さんを受け持っていないため、入院加療を必要とする場合には、主要な問題に対応する診療科での入院となります。

 

そうなんだ。 病院へ行く度に、「モツ」にされやせんかと、毎度,オチオチしない気持ちでいるんだ。 なにしろ、大抵の日本の「総合」病院にはブツ切りの専門の医者しかいないのでね。 いわゆる「縦割り」の科別で、病院が構成されている。 しかし、人間の身体は縦割りじゃない。 老人の身体は、なおさらのことである。 身体中のアッチコッチで、絶えず故障するのが、人間の身体である。 特に、老人はそうなのである。

 

突飛な話だが、私が昔専攻した歴史学でも、同じようなことが言える。 現代の大学は、西洋史、東洋史、日本史、云々と学科別に、縦割りに構成されている。 しかし、現代は世界史=総合史(グローバル=横断的=横割り)的視点から、歴史を考えるべきなのである。 そうでなければ、勃興するアフリカ諸国の発展やヨーロッパとアジア、つまり、ユーラシア(ユーロ・アシア)を結ぶ中国の習近平が提唱する「一帯一路」の構想も理解出来ない。

 

こうしたグローバルな視点は、コンピュータの世界でも必要になってきているらしい。 例えば、コンピュータにおけるデータ保存も、個々のコンピュータ毎に縦割りではなくて、世界的規模で集中される「クラウド(雲=宇宙)」に横断的に保存されるようになってきている。 おそらく、未来の進んだコンピュータを使えば、国家毎に設定される縦割りの「マイ・ナンバー」ではなくて、人類の一人一人が、世界的規模で、人類全体に横断的にアサインされるマイ・ナンバーでコンピュータに登録され、管理されるように成るかもしれない。 

 

これに依って始めて、宇宙の彼方から地球を訪れるやも知れないエイリアン(異星人)に応接し得ることになる。 そこまで大風呂敷を拡げなくとも、地球温暖化、地球大気汚染、核燃料管理、など、地球的規模の問題の処置・処理には、グローバルな横断的視点が必要なのである。  

 

 

 

 

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とくに自然科学と断らない場合でも,現在通常は〈科学〉と同義である。自然についての体系的な知識を指すが,とくに人文科学,社会科学と対比させるときに用いられることが多い。英語では,18世紀までnatural scienceという使い方はなく,natural philosophy ...(ウイキペヂア)