鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

老人というもの

老人(高齢者)についての固定観念がある。 「むかし、むかし、あるところにお爺さんとお婆さんが居ました」 これだけで子供たちには、その場の状況が彷彿と想像できた。 そこに小さな川が流れカエルがいたし、野原が拡がり、小山があって小兎が跳ね回っていた。

 

こうした子供の夢から、老人に対する固定観念が生まれ、周囲もその固定観念を、いろいろな角度から確認した。 このようにして、誰も彼もが、同じ老人観を持ち、「老人と言うものは」というパターン(型)を頭に描くように成る。 

  • 老人は、体力が衰えており、歩くのに苦労している。
  • 老人には、労り(労り)が必要だ。 だから、介護(?)という横から介入(助け)が必要である。
  • 老人は、歯が悪いから、硬いせんべいなどはたべないが、柔いものうを好む。
  • 老人は、理解力が衰えている。 だから、高齢者の自動車運転は危険だ。
  • 老人は目が悪く、視力が衰えて言る。 従って、物がよく見えない。 この点からも、高齢者の自動車運転は、避けるべきである。
  • 老人は、血圧が高いから、塩気のものは食べないように心掛ける。 
  • 老人は、頭に血が登り易い(逆上せ易い)。 従って、あまり老人を怒らせたり、興奮させたりしてはいけない。
  • 老人は、身体を冷やしてはいけない。 老人に冷た過ぎる飲物やアイスを食させるのは避けるべきである。 また、厚着をさせるべきである。
  • ーその他、云々。。。。。。 

世間の老人の扱いや老人を処遇する扱いは、こうした老人観に基づいて行われる。 子供向けの絵本に描かれた老人は、厚着をして、必ず腰を曲げて杖を突いて歩いており、荷物などは若者が持ってやり、老人について行く。 子供の絵にある多くの外出先の老人は、茶店前の腰掛けに座って、湯気の立っお茶を、飲んでいる。 (今は、街角のコーヒーショップでコーヒーを飲んでいる?)

 

しかし、よく考えてみると、現実には「型破り」の老人も多い。 もともと型が、現実離れしているのである。 一度作られた型は、何年たとうとも、月日が経っても変わるものではない。 現実は、歌の文句にもあるように、世に連れ変わって行くものである。 人間の寿命は伸びている。 老人も老人らしくなくなっているのである。 老人らしい老人は、もう居なくなっている?