鞍馬天狗

夢寐のたわごと

介護人(ヘルパー)

以下に述べる幾つかは、既にブログとして発表したものと重複する点もあるかも知れないが、最近よく聞く、介護人の乱暴さが引き起こす事件と世間の評価,非難の報道を、読み、聞くにつれ、重要だと思うようになってきたので改めて取り上げ、世間の関心を呼びたい。

 

介護

介護は過ぎると、被介護者を過度に頼らせるようになり(つまり、甘えさせ)、被介護者を心理的に損なう(弱らせる)ことになる。 しかも、過剰介護は、ときには、介護する人間(介護人)の「お節介」、「拷問」、「お仕着せ」、「見下し(みくだし)」、「強制(矯正)」、「拘束」に繋るのみならず、介護する人間の気持ちを増長させ、の「傲慢化」、「尊大化」、「自己満足」、にも繋る恐れがある。。

 

介護される側の要介護の程度が高くなってくると、介護する側への依存度も高まるので、介護する側の負担は大きくなる。 例えば、車椅子に縛り付けられた被介護者は、介護人の関心を呼びたいがためだけに、哀訴を繰り返すようになる。 哀訴を度重ねる内に、被介護者の哀訴の仕方も巧妙になり、拒絶の難しい生理的欲求などを持ち出し(例えば、小用、腹痛、昼寝後の休息の必要)、それを盾に、介護人の関わり、介入を要求する。 一種の「甘え」である。

 

こうしたやり取りが、知らず知らずのうちに、介護人の側の被介護者に対する優越感を生み出し、介護人の心の苛立たせるのみならず、「尊大化」、「乱暴化」を誘発する。 哀訴が度を越えて激しくなってくると、介護人は、ツッケンドンな応接をするようになり、介護人の被介護者の扱いも、粗雑・乱暴になってくる。 それでなくとも、夜勤明けで働らき疲れ、かつ苛立っているヘルパーの場合には、被介護者に対するイジメ、毀傷、殺人に走る恐れが十分にある。

 

介護という責務は、平常な心を持つ介護人(?)にとっては、被介護者の生活へのお節介、介入、拘束、容喙、矯正(?)、強制(?)、拷問(?)、などを伴う作業なので、人間が耐えられる作業の限界とスレスレのところにまで、心理的に介護人を追い詰めるものと思われる。 その意味で、到底、平静な気持ちでは果たし得ない職務を介護人は担わされている。 おまけに、「有料で」そうした介護(ときに、拘束)の委託を被介護者の後見人(身元引受人)から受けているので、被介護者を「いじめる(?)」為の「大義名分」によって支えられた責務だとも言える。

 

介護人の職務(責務)の困難さ、重さ、重要さ、に比べ、聞くところの介護人に対する現行の報酬は、安きに過ぎるかも知れない。 彼等は、非常(ときに異常)の状態の「人間」を扱っているのであり、考えようによっては、一般の医者や看護師と変らず、劣らない仕事をしているのだとも言える。 「介」の字の意味「助ける」であるが、この場合の「助ける」の対象は、患者ではない。 医者の方を助けるのである。 っまり、「補助する」という意味での「助ける」であり、いわば、俗に言う医者の「助っ人」である。

 

介護人(ヘルパー)は、他の職業人と比べて、一段と劣る仕事の人と思われている向きもあるようだが、決して、そのようなことはない。 むしろ、一段と難しい、ある意味で(心理作業を伴う)の専門職であると思う。 介護人の仕事は「親や家族」を預ける重要で、大切な、かつ、困難な(心の持ちようの難しい)仕事である。

 

注:介の意味 (Webより)

1.助ける。2.助ける人、 仲立ちする、3. 隔てる。区切る 、4. 挟む。間にある、5. きわ。境目 、鎧、7. 甲羅、8. 堅い。堅く守る 、9. 一人。一つ 、10. 頼る 、11. 大きい。大きくする 、12.物を数える単位、13. すけ(介):律令制における職位を表す(国守の仕事を助ける役割)。

 

以上は、老人ホームの一入居者として、十数年間、観察してきた報告である。