鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

風呂(足湯)

街の風呂屋さん(つまり、銭湯)の数が減っているそうです。 データのある一番古い年度である昭和60年(1985)の私営公衆浴場の総数は21,695軒、平成25年、(2013)には、浴場数はわずか4,172軒まで下がっています。

 

風呂の始まりは、仏教寺院の施浴だと言われています。 施浴にまつわる伝説として有名なものに「光明皇后の施浴」があります。

 

注1:光明皇后はある悲願のために、奈良法華寺の施浴して千人の俗人の垢を洗い流すことを決めました。  ところが、最後の千人目にあらわれたのは、全身に血膿をもつ悪疾の患者でした。 しかし、皇后は厭う(いとう)ことなく、この者の背中を流し、さらにこの者に乞わ(こわ)れるまま膿まで吸い出してやりました。  その瞬間、浴室に紫雲(しうん)が棚引き(たなびき)、患者は立ち上がって黄金の光を放ち、「我は阿しゅく仏なり」と言葉を残し消え去りました。

ちなみに、今日の湯屋の石榴口(ざくろ口)が寺の屋根の形をしているのは、寺の施浴の名残だそうです。 (Web より)

 

注2:疲れを取りたい時やリラックスしたい時、温泉や銭湯は極めて有効です。 入浴で疲れが取れやすく、心身をリラックスさせ易いことは、誰でも知っていることです。 入浴は、身体をリラックスさせて疲労を取るだけではなく、精神的にも好ましい作用を与えます。 更に寝付きを良くしたり、睡眠の質を改善する作用も期待できます。

 

全半身浴を前提にした風呂は、町の銭湯であろうと、家庭のお風呂であろうと、全裸に成らねばならないという面倒さ、男女混浴が難しいと言う障害があり、現代の諸事情の下では、時間や場所の設営も困難です。 こうした困難な風呂に代わる簡便な「浴法」として、足湯があります。

 

しかも、体力が落ちている時に風呂に入ると、リラックス効果よりも身体への負担が大きく、逆に疲れが増して体調を崩してしまうことがあります。 その点、足だけを湯に浸ける足湯には、こういった心配がほとんどありません。

 

足湯は、全裸にならずに、足だけをお湯に浸けて温め浴方法ですから、男女・家族、知人までが一緒に楽しめます。 温泉に比べて着替えなどの準備もいらず、疲れも癒えて(いえて)心まで暖かくなるので、極めて健康的です。

 

現代の諸事情の下では、利用することの難しい風呂(①銭湯は設営が難しく、街中では数が少ない、②家庭風呂は自分の家へ帰らなければ使えない、③温泉は温泉場へ行かなければならない)に代わる足湯を街角に設置すれば、多くの点から見て、現代では絶好の、かつ簡便で安上がりの健康法を提供して呉れると言えます。 本当に疲れているときに、体に負担をかけず、心身の疲れだけを取り除いてくれる足湯には、大きな魅力があります。 しかも、設営・設置が比較的容易です。

 

この足湯の効果を見直して、街中の散髪屋のように、足湯屋を商売にする人が少ないのは不思議です。 誰かが、この折角のチャンスを見逃しているように思えます。 足湯は、短い時間と僅かの金を払い、僅かの手間(靴と靴下を脱ぎ、ズボンの裾か、スカートかの裾か、をたくし上げる)を掛ければ利用できる筈ですから、顧客(利用者)も面倒がらない筈です。 足湯は、商売になるどころか、「施湯」を行った光明皇后の嚆矢の気持を振り返れば、「人助け」の事業だとも言えます。

 

ヒョットしたら、この簡便で安上がりな、街の簡便な健康法を邪魔しているのは、お役所かも知れませんね、 「XXX衛生法」とか、なんとかが、障害になっているのでしょうか? 足湯では、利用者を素っ裸にさせる訳じゃありませんから、お役所は、「風俗営業法」なんて野暮な法令を振り翳さ(ふりかざ)したりはしないでしょうね。 

 

 注:最近、アクアラインの「海ほたる」の中や東京大手町のビルの中に、足湯が設けられていると聞いています。