鞍馬天狗

夢寐のたわごと

気 分

「気」は難しいテーマだ。 いろいろな意味を持っている。 これが壊れると、人は病気になったり、怒り出したりする。 では、「気」について調べてみよう。なお、予め断っておきますが、筆者は、医者ではないし、医学を学んだ者でもない。 以下の記述は、素人の考察だと受け止めて下さい。

 

【気】:〈気持〉〈心持〉のような,人間の心理状態の受動的で主観的な側面をいう。 感情には,〈明るい気分〉〈けだるい気分〉〈気分が良い・悪い〉と言われる場合の気分のように,身体の生理的状態の意識への反映と思われる微弱だが持続的なものから,漠然とした快・不快感,激しい欲情や嫌悪感,〈躍り上がって喜ぶ〉とか〈涙を流して悲しむ〉といった身体的表出をともなう激しい情動,ある種の欲望に似た強く持続的な情熱,さらに宗教的感情のようなある種の価値への畏敬の感情にいたるまで実に多様な心的状態が含まれる。 いずれも我々にとって極めて身近なものでありながら,この感情の学問的解明は遅れており,相互に対立し合うさまざまな説明が与えられている。世界大百科事典

 

「気」は落とすこともあれば、取り直すこともある。 病気には、気の持ちようで成ったり、気の引き締めで治ったりする、ものもある。 中国古来の医療法に「氣功(きこう)」という医術がある。 気功は、中国伝統の民間療法、代替治療である。それまで呼び名が様々で統一されていなかったところを1957年に劉貴珍が『気功療法実践』を著し、「気功」という統一された名が付けられて一般に定着した。

 

注: 「気功」には、大きく分けて、次の5つの流派がある。    (Web より)

1)医家(学】氣功:古代の医学者達によって作られた氣功、

2)道家氣功:老子が発足させた氣功、

3)儒家氣功:孔子とその弟子たちに始まる氣功、

4)佛家氣功:仏教の方々が発展させた氣功、

5)武家氣功:武術に関係の深い氣功。

 

中国古来の医学では、気の流れる経路を、経絡(けいらく)と呼ぶ。 中でも特に重要なのが、十二臓腑から左右一本ずつ手や足の指先へまで走っている十二経絡で、人間生まれてから死ぬまで、この経絡の中を「気」は流れ全身巡っているとされる。 しかし、どこかの経絡が詰まると、「気」の流れが、閉塞され、その先組織器官気虚状態に陥り、局部は気が滞っている状態になって、痛みやしびれ、重い、冷たいなどの症状表れる。 例えば、気虚状態が肩に起こると肩こりに、腰に起こると腰痛に、心臓に起これば狭心症心筋梗塞といった具合に、さまざまな病気になる。 中国医学あらゆる治療法漢方鍼灸按摩・気功など)はすべて滞っている経絡を通じさせて病気治すものである。 通慧功は、この中国医学原理基づいて十二経絡の流れる順に従って創り出されたもので、健康や長寿達成する効果が高いと言われる。

 

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注1:気功(きこう)は、中国伝統の民間療法、代替治療である。 それまで呼び名が様々で統一されていなかったところを1957年に劉貴珍が『気功療法実践』を著し、「気功」という統一された名が一般に定着した。 

注2:通慧功 六合平秘功
通慧功は、于永昌師家伝の気功を基に、中国医学の理論と伝統的諸流派の長所を取り入れ、十数年かけて編成された医家気功体系の最高峰である。 六合平秘功とは、三つの体系に分類される通慧功の主体功法の一つで、主に脳や臓腑器管の機能を高めるものである。 入門編では、この六合平秘功の各動作と呼吸法を表演、詳しく解説している。

注3:体内にβエンドルフィンが排出された時に感じます。 体内にβエンドルフィンが排出されると、 リンパ球・NK細胞等が増え自然治癒力が高まるのです。 この理論と氣功が私の中で、結びついたのは、 潜在脳力開発気功「通慧功:六合平秘功」(考案;于永昌) 

注4:エンドルフィン(endorphin)は、内で機能する神経伝達物質のひとつである。 内在性オピオイドであり、モルヒネ同様の作用を示す。 特に、脳内の「報酬系」に多く分布する。 内在性鎮痛系にかかわり、また多幸感をもたらすと考えられている。そのため脳内麻薬と呼ばれることもある。                                   

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身体の中を流れる中国医学で言う「気」は、近代医学で言う「リンパ液」を連想させる。 リンパ液には、体内を流れる為の血管のような媒体は備わっていない。「気」は、ある時は「気のせい」として、あるときは、「気分」として、(中国医学で言う)無形の「経絡」を通して拡がり体内へ瀰漫すると思われるが、仮に「経絡」と言うものがあるとすると、その存在は「ツボ」を通して探ることはできる。 リンパ液に、そのような「ツボめいたもの」が存在するか、どうかは判らないが、筋肉が経絡に似た役割を果たしているようである。

 

他方、「気」は、「気は心」と言うように「心」という無形の存在と、同一視されることがある。 つまり、我々は、心の発露として「気」を捉えており、このように、我々、日本人は(中国人と違って?)、気と心を同一視している。その意味で、「気持ち」は「心持ち」とは同一の観念である。 従って、繰り返すが、「気心を知り合う」とは、互いに相手を「十分に」知ることに成る。

 

さて、ここいら(ここら)で中国を離れ、日本人らしく「心気一転」して、この「心血」を注いだ(?)ブログも続けると、ダラダラと長くなりそうなので、この辺で一幕を、一応終わりにさせて頂きます。