鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

死に花を咲かせる(ブログ・シナプシス)

死んだ草木には、花は咲かない。 花が咲くのは、生きている証拠。 勝負に勝つには、勝ち方は問わない。 勝てば、それで一巻の終わり。 戦争に勝つには、潔さ(いさぎよさ)は問題ではない。 原爆一つで、ケリが付いた。 

「生」は、終わりではない。 終には、花は咲かない。 生きておればこそ,花も咲く。 「生」は、経過であり、プロセスである。

 

注1:死に花を咲(さ)か・せる。 死ぬ間際はなばなしいことがあって,名誉を死後に残す。死に花が咲く。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。三省堂大辞林

注2:道教(どうきょう、拼音: Dàojiào)は、中国三大宗教三教と言い、儒教仏教道教を指す)の一つである。 中国の歴史記述において、他にも「道家」「道家の教」「道門」「道宗」「老氏」「老氏の教」「老氏の学」「老教」「玄門」などとも呼称され、それぞれ若干ニュアンスの違いがある。

(ウイキペディア)

 

結果に至る「道(過程)」を重んずるのが、「道(どう)」の精神である。 結果は問はない。 武士道、剣道、柔道、茶道、華道、云々のいずれに於いて、また然り。 日本の兵隊は、各地で潔く(いさぎよく)散った。 咲いた桜花(さくらばな)のように。 

 

「武士は、食わねど、高楊枝」。 腹は減る、然れども、「乞う」を潔(いさぎ)よしとはしない。 乞うよりも、盗む方が「矜持」を保たせる。 然し、「潔」を望んでも、「高」であることも期す。 高潔に非ざる(あらざる)に、矜持は保てるか?

 

貧すれども、盗むを、潔しとはしない。 そこに日本人の矜持がる。 潔さは、物事のやり方、進め方(道)に窺われる。 清潔・精進は、古来よりの日本の伝統である。 街角にチリひとつ落ちていない。 年末には、すべてを清める。 地方の村落や島々、各地の寺社・神宮に於いても、年末には「火」で清める。

 

清浄を求める気持ちは、大和心の底に流れれている。 「汚く」勝つよりも、清く、潔く、負ける(引く)のが、大和心の伝統であった。 「勝ち」は、勝負の埒外(らちがい)にある。 賞金、栄誉、世間の評判は、全て「勝つことのオマケ(余録)」である。

 

モンゴル相撲 対 日本相撲

 子供の頃教わったおなじみの『徒然草』は、鎌倉時代末期に、吉田兼好によって書かれた随筆だが、その中に、当時の庶民に愛好された賭博・雙六(すごろく)に関する下記のような記述がある。 ...

 

当時、 すごろくの名人と呼ばれている人に、必勝法を聞いたところ、「勝とうとして打ってはいけない。 負けないように打つべきである」と言ったと、兼好は記している。(web辞典より)

 

柔(やわら)⇒ もじり カラオケひばりすと 歌唱

1)♬ 勝つと思うな、思えば負けよ。 負けてもともと、この胸の奥に生きてる、相撲の夢が一生一度を一生一度を待っている。

3)口でいうより、手の方が早い。馬鹿を相手の時じゃない。殴るも叩くも、座るも伏すも、相撲一筋 相撲一筋、夜が明ける ♬

関沢新一:原作詞、もじり:某、美空ひばり:歌唱、古賀政男:作曲)

 

原作の(ヤワラ)の第一節は、何となく白鵬関を、第三節は、日馬富士関を連想させる。

 

グローバル(世界)相撲

国際(インターナショナル)に代わるグローバルの觀念の発芽は、併せて個の意識の強烈化に繋る。 個人は、いろいろな属性を備えている。 名前を始め、性格、所属集団、郷里、同窓、etc.。 だが、万事に先行するのは、「自分意識」である。 自分自身の確認と周囲を認識することが、その人の「絆(きずな)」と存在(立場)、そして生き様とを定めることに繋がる。

 

人は、独りでは存在しないし、周囲の他人との絆を探り求めて、自分の立場を確かめようとする。 とくに、母、父、兄弟姉妹(はらから)、生まれ育った故郷と同じ土地の人(同郷人)や同じ学校に通った人(同窓生)との絆を求める。重要な点の一つは、何処に、その「絆」を求めるかにある。 自己を確立した(自分の立場を固めてしまっている)人程、その確立度(自立度)の確実さ(強さ)に応じて、広い(遠い)ところへも絆(の繋がり)を求める手を伸ばすようになる。 おそらく、最も立場が脆弱な人は、まず母との絆を確かめようとするだろう。

 

故郷を遠く離れた孤独に悩む若者が、遠い異郷でも、自分の立場を固めるために、近く(同郷のものたち)に絆を求めるものである。 絆なしには、自分の立場が危ういからである。 同郷の者たちで、チームを組む、それも宜なりだが、そうしたチーム化は自己の了見をせばめるを恐れもある。 我々は、少なくとも日本人は「郷に入れば。郷も従う」知恵を教わっている。 同化である。 だが、グローバルであることは、汎化をも求める。 しかし、「個」が確立されていなければ、汎化は、相手(?)に吸収されてしまうことになる。 モンゴル支配の相撲を恐れるなら、日本の伝統の相撲を確立しておくべきである。 

 

個(日本人)が、本当に自立しておれば、他(他国人)は日本(人)を徳として、周囲に自ずから集まってくるものである。 日本相撲協会、そして日本の相撲関係者の猛省を促したい。