鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

大都市の花街と遊郭

花街の有名なものに、京都の「祇園」があります。 京都の町家(一般市民の生活区域)に生まれ育った私でも、祇園の事、芸者、舞妓のことを良く聞いていました。 しかし、京都に五ヶ所も、こうした花街があることは知りませんでした。 しかも、「島原」が比較的近いところにありましたから、子供仲間の間いだで、島原がどんな場所かを知りもしないで「島原は違うんだぞ」と自慢げに、言い合っていました。 長ずるに及んで、京都に5つも花街があり、島原は「遊郭」という「性」欲を満たすことを主とする場所であると知りました。

 

老域に達してから、暇に明かして(徒然なるままに)、大都会の花街を調べてみることにしました。 京都には、古くから、5つの花街があります。 祇園甲部祇園東、宮川町、先斗町、の4つの花街が固まって、それに随分はなれたところに「上七軒」と言う奇妙な名前の花街の合計五花街です。

 

では、何事にも競争相手になる東京、大阪の花街はどうなっているのでしょう? 東京には、さすが大東京(大江戸)だけあって、六ヶ所(新橋、神楽坂、芳町柳橋向島、浅草)も、それに吉原という「遊郭」まである。 では、東京に向こうを張りたがる大阪は、如何? なとと 北新地、新町、堀江、宗右衛門町=南地の四花街! くわえて、松島、飛田。今里、新世界の四遊郭(東京や京都より、遊郭が多いではないか! 余程、大阪人は、XXXがお好きかね?

 

他方、一つ中央日本にポツンと聳える名古屋市は?  記録に残る「遊郭」は、中村遊郭。 それに加えて、三遊里(おそらく、単なる花街ではなくて、遊郭:名古屋人は、密やかにXXXを、屡々お楽しみ?)。察するに、東京には、金持ちの偉いさんが多いから、もっぱら「お座敷遊び」が盛んで、京都は金持ちの隠居(私は別)が多くて、暇を持て余して「お座敷遊び」、大阪は金持ちのXXX好きが多い? では、横浜はどうなんだ。 横浜の「遊里(花街、遊郭)は、死に絶えました。 現在の黄金町、日の出町付近に、昔(つい最近まで)、花街とも遊郭ともつかぬものがあったらしい。

 

注1:上七軒(かみしちけん)は、京都上京区真盛町から社家長屋町に位置する花街である。

室町時代北野天満宮の再建の際に残った資材を使って7軒の茶店を建てた。 これが「上七軒の由来で、桃山時代豊臣秀吉が北野で大茶会を開いた折に茶店側は団子を献上したところ大いに誉められて以来、また西陣の結びつきで花街としての繁栄を極めている。

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注2:芸妓・娼妓の大きな違いはないのでしょう。 太夫さんともなれば、たとえ吉原の太夫さんでも簡単には体を許さなかったといわれますし、中には一度も体を許さなかった太夫さんもあったそうです。 そんな事情から、NHKの太夫さんの表現に対して、現存する京都島原の揚屋(お茶屋)さんが抗議したのです。  現在は、京都の島原は西本願寺の裏手というか西側にあるのですが、静かな住宅街になっています。 しかし、 角屋という揚屋(お茶屋)さんが一軒と輪違屋(わちがいや)という置屋さんが一軒だけ残っています。

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注3:芸者(京都では芸妓)は、舞踊や唄、鳴物などの芸をもって宴席で客をもてなすのが専門の女性で、見習いの若い女性は舞妓、半玉と呼ばれます。花魁は身を売ることが生業の娼妓なのに対し、芸者は芸道を専らとし「芸は売っても身は売らぬ」が身上です。

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注4:大阪における花街の歴史は京都の嶋原に模して作られた新町から始まる。 商業の町として発展してきた大阪(当時は「大坂」と呼ばれた)には随時して非公認の花街が神社仏閣、芝居小屋の付近で誕生した。 現在、北新地、南地の繁華街は江戸時代からの生き残りである。 非公認の遊女のいた妓楼は「泊茶屋(とまりちゃや)」と呼ばれた。 天保の改革などで複数の花街が整備され、明治に入って数箇所の花街を統廃して、松島遊廓が誕生し、大正に難波新地の火災により飛田遊廓が開設され、今里、住吉などの芸妓のみ。

(ウイキペデイア)

 

日本に於ける売春防止の運動は、近年、特に戦後(太平洋戦争後)激しくなり、だんだんに「芸は売っても、身は売らぬ」芸者(藝妓)が主流となってきました。 今日では、花柳界は観光事業化し、「遊郭」は実質、廃止です。 しかし、アダルト産業として、非法ながら、「遊郭」が日本の各地で残っている気配があります。

 

今日の若者たちの「ウサ晴らし」は、暴れまわるか、街角に立つ不法私娼かで、賄うより、仕様がないのでしょうか? この私娼たちを、組織的に操る暴力団もいますから、(悲しいことですが)警察力の増強がのこされた数少無い売春防止手段なのでしょうか?