鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

自家用車

自家用車は、自由に動ける。 電車のようにレールに嵌められて、決まった道を動くのではない。 観光旅行に出かけるにも、観光「バス」旅行を好む人が案外多い。 電車に比べて、バスは比較的自由に動き回れるからだろう。 しかし、バス旅行にも、「団体」行動という制約がある。 その点、自家用車の場合には、「引率する」、または「金を出す」親父やお袋の希望という制約が加わることがあるだけである。 やっぱり、寂しいことを別にすれば、自分独りで自家用車に乗って動き回るのが一番である。

 

何人もが纏まって団体で、新しい土地を訪れるときには、案内してくれす引率者がいると、心強い。 しかし、多数の人間の団体を引率するとなると、引率者の方では、心を砕かねばならない点が多くなってくる。 幼稚園児や小学校低学年なら、引率も比較ていやり易いが、引率の相手が成人だと、誠に難しい。 それぞれの人に、それぞれの希望があるからなおさらである。 これが老人となるといっそう面倒になる。 各人の希望どころか、各人の体調(体力)も違う。 

 

大体、老人が団体旅行に加わろうとするのが、元来間違いなのである。 一人で、トボトボ歩いておれば良い。 ましてや、自家用車の運転など、危険極まりなく、問題外である。 乗せて貰えるのは、せいぜい車椅子ぐらいで良い。 

 

翻って、自家用車愛好者が多くなったのは、近年の若者の自意識が強まってきた証拠だろう。 「道の駅」なども、各地に作られて、若者たちの「旅」への気持ちをそそり立てる。 旅行は、人の気持ちを明るくする。 見聞を広めるのは、人生を豊かにする。 

 

その点、パソコンは、軽便な「老人向け」旅行代行器具(玩具)と言えなくもない。 自分の体を動かさなくとも、観念的だが、各地を、年代を超えて(古今東西も、更には将来も)、見聞することができるからである。 いや、各地どころではない、種々のテーマに跨って見聞を広め、楽しむ事ができる。 この玩具は自家用車以上のものだと言える。 息子や娘、その他好意ある若者の手を「少し」借りて、後は自分が自在に飛び遊び回れる玩具がパソコンである。 

 

この道具(玩具)の操作法は、老人には確かに複雑である。 それを容易化することが出来たら、老人たちにとっては福音だと言えよう。 おそらく、彼らが覚えなければならない必要点は、「操作法の基礎」だけだある。 複雑な「尾ひれ」は、若者に任せておけば良い。 尾ひれを教える必要は無いどころか、尾ひれの知識は、返って彼等の害になる。 老人は、この玩具を愉しめば良いので、本人が希望しない限り、習熟する必要は、まず無い。