鞍馬天狗

夢寐のたわごと

へんねし

「へんねし」とは、耳慣れない言葉である。 一般の辞書は、もちろん、この地方の言葉に特化したXXX辞典にも載っていない。 パソコン(コンピュータ)で調べて始めて意味がわかる。 「けったいな言葉やなぁ」。 そうだ。 怪態(けたい)な言葉である。 私は、その地方の出身であり、子供の頃から、この言葉を何度も聞いてきた。 意味は、「やきもち」、「ねたみ」、「嫉妬」である。

 

映画「男はつらいよ」に登場する「寅さん」は、裏の小さな印刷工場に務める若者たちに向かって、よく「労働者諸君!」と呼び掛けている。 労働者が居るといことは、経営者、管理者が居るということでもある。 経営者、管理者は、明らかに、労働者に対峙する上位の存在であり、そこに「身分差」があることを暗示している。   

 

労働者側には、心の底に、地位の上でも、財産の上でも、優越すると思われる経営者や管理者に対する「へんねし」の気持ちが常に働いている。 その気持が、経営者や管理者に対する反感を生むので、経営・管理者は、心すべきである。 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という古い言い方があるが、正に、この点を指している。 しかし、何事にまれ、優越者が謙虚を装って、態とらしく(わざとらしく)頭を下げることは、嫌味であり、白々(しらじら)しい。

 

優越者に対する劣等者の「相手を羨む(うらやむ)」気持ちは、常に警戒すべきであるが、その劣等者の「妬む(ねたむ)」気持ちを克服するには、嫌味のない「木鶏の如くある徳」を得ることが必要であると思う。 こうした「徳」は、如何にして得られるか?  おそらく、そのためには、心の中の全てのこだわりを捨て、自然体である「是々非々」の心構えを保つことが必要だろうが、これは、凡人の容易に、為し得ざるところである。 この心構えを果たすには、日頃から、自分の心を鍛えておく必要がある。


注:その昔、ある王が、闘鶏用の自分のニワトリを、鶏育ての名人に、その鶏の訓練を託した。 10日後、王は、鶏の仕上がりを下問した。 鶏育て名人は、『まだ空威張りだけで、闘争心一杯で、駄目です』 と答えた。  更に10日ほど後に、再度王が下問すると 『まだいけません。 他の闘鶏の声や姿を見ただけでいきり立っています』と答えた。  更に10日経過したが、 『目を怒らせて強さを誇示しているからだめです』 と答えた。 さらに10日後、下問すると 『もう良いでしょう。 他の闘鶏が鳴いても、全く相手にせず、木鶏のように泰然自若としています。 この徳の前には、敵なう他の闘鶏は居ないでしょう』 と答えた。