鞍馬天狗

夢寐のたわごと

芸者・藝妓

私は、関東(湘南、鎌倉、横浜)に在住して、50年以上になるが、根は京都生まれの京都町家育ちのため、しかも、90歳近くなったいまでも、血気の残り滓の滓が僅か残っているらしく、You tube などを見ていても、関心は寺社仏閣ではなくて、花街へ向いてしまう。 花街といえば、その随一に挙げられるのは、京都の五花街である。 日本の芸妓(花街)の大要を概観すれば、次の通りである。

 

芸妓は、「芸者(女芸者)」、「芸子(げいこ)」と呼ぶのが古い言いかたであるが、明治以降、「芸妓(げいぎ)」という呼名も行われるようになった(本稿ではこの呼名を用いる)。芸妓は多くの場合、一人前の芸妓と見習とは区別され、それぞれの名称が地域によって異なる。

 

京都

お茶や団子を提供する水茶屋で働く茶立女(ちゃたておんな)が歌舞伎芝居を真似て三味線や踊りを披露するようになったもの。

芸妓を「芸妓(げいこ)」、見習を「舞妓(まいこ)」と呼ぶ。

 

東京を中心とする関東地方

芸妓を「芸者」、見習を「半玉(はんぎょく)」・「雛妓(おしゃく)」などと呼ぶ。

 

その他の地域

山形石川

芸妓を「芸妓(げいこ)」、見習を「舞妓(まいこ)」と呼ぶ。

(Web 辞書)

 

江戸時代に深川岡場所からやがて「粋」を売り物とする辰巳芸者が生まれた。 この他、日本橋芳町柳橋などの芸妓は江戸っ子に人気があった。 明治時代以降、官庁街に近い新橋赤坂が、政府高官も遊ぶ場所として発展した。 関東大震災では下町の花街が大きな被害を受け、被害の少なかった神楽坂がにぎやかになった。 向島はあまりさえない土地柄であったが、近年若い女性(「カモメさん」と呼ばれるコンパニオン)が座敷を勤め、人気を得ているという。

 

東京六花街

以前は柳橋芳町・新橋・赤坂・神楽坂・浅草を六花街と呼んだが、柳橋花柳界が消滅した後は、代わりに向島を加えて六花街と呼ぶようになった。

 

芳町

江戸期、現在の日本橋人形町付近に、歌舞伎の芝居小屋が建ち、随時して陰間茶屋が誕生し、それが花街の原型となる。 新劇創始者川上音二郎の妻で日本で最初の女優、川上貞奴はこの花街の芸妓であった。

 

新橋(銀座)

1857年安政4年)、現在の銀座八丁目付近で三味線の師匠が料理屋を開業したのが花街の誕生となる。 明治大正に最盛期を迎える。 

 

赤坂

江戸期、溜池付近に岡場所が発生し明治に花街として成長。 主に官僚らが利用した。

 

神楽坂

いまもなお、石畳の路地が残っており、風情も残っている。

 

浅草

花街としての浅草は芳町同様、江戸期に発生し猿若町の芝居小屋付近の「猿若町芸者」、山谷堀周辺の「山谷堀の芸者」、浅草門前の「広小路芸者」が今日の花柳界を形成した。

 

向島

花街は、向島五丁目に位置する。 向島では「宮様から畳屋様まで楽しめる」と言われる。下町風情に溢れ、気楽に遊べ、評価される。 東京スカイツリー竣工を控え、注目される。

Web 辞書

 

大阪の花街 (二花街?)

大阪には、江戸時代から新町堀江北新地南地(現在のミナミ)の4つの大きな花街があり、昭和初期まで隆盛を極めていたが、戦後は大阪経済の低迷や後継者難などで凋落が続き、現在「花街」として辛うじて機能しているのは北新地と南地のみ。

(出典:Web 辞典)

 

京都の五花街

八坂(やさか)神社の門前に祇園東、祇園甲部、宮川町、先斗町、が一団となり、そして離れた場所(北野天満宮前)の門前に上七軒の五花街がある。  八坂神社門前の四花街のなかでも、宮川町の花街が、一番活発に、続いて上七軒の花街が、目立って活動している。

 

「芸は売っても、身は売らぬ」が、昔からの藝妓の身上であったが、最近は日本の政治家のように、併せて「媚(こび)」をも売るようになってきた。 昔の藝妓は、主に、三味線や太鼓に合せて踊りを見せたり、簡単なお座敷遊びを行ったりして客を楽しませていたが、今日では、場所に依って(例えば、浅草)は、芸能人化して、流行の演歌をも歌うようになってきた。 

 

媚(こび)

  1. 狐が人をだますように、上手に取り入って人を惑わすこと。
  2. 狐が人を化かすこと。また、狐の化けたもの。
出典:デジタル大辞典

 

名古屋の花街

古くは、徳川家康による飛田屋町廓や徳川宗春による西小路遊廓、富士見原遊廓、葛町遊廓が知られるが、いずれも出現後禁制策がすぐにとられ、長くは続かなかった。 江戸期の名古屋で専ら活躍していたのは、百花(もか)と呼ばれた私娼であった。 幕末期の安政年間に至り、玉屋町の宿屋渡世笹野屋庄兵衛なる者が上願して、大須観音堂の北にあたる北野新地(清安墓地の南、大光院墓地の西の区画)という一区域に役者芸人の寄宿を許可され、漸次繁盛してきた。 その後、大正時代になって、公許の遊郭が、中村区に設置されたが、現代は、ソープランドが集中する地区となっている。

 

さすが、京都の五花街の藝妓たちは、芸能人化はまだしていない。 素人の私には、そう簡単に、見立てられないとは思うが、繰り返しYou tube を通して、日本舞踊、藝妓の踊り、を見ていると、踊り(藝妓)に「気品」のようなものを感じることがある。

 

き ひん 【気品】 

気高い趣。どことなく凜(りん)として上品な感じ。 「 -のある顔立ち」 「 -の高い作品 

 

「気品」に似た言葉

おり め  【折(り)目】

1. 紙・布などを折った時につく線。 「ズボンに-をつける」

2. 物事のきまりやけじめ。 「 -の正しい人」 「生活に-をつける」

3 「 矢開(やびら)き 」に同じ。

 

矢開き(やびらき)は、狩りに出て初めて獲物があったとき、特に少年が初めて狩りに出てシカその他の獲物を得たとき、それを披露し祝うこと。 

矢口(やぐち・やのくち)ともいい「矢口祭り・矢口祝い」や「矢開きの神事・矢開きの祝い」ともいう。

三省堂 大辞林

 

藝妓(舞踊)の気品は、所作・仕草、そして生活の折目の正しさに表わされると思う。 下卑た行動や仕草、ふざけた有り様には、品性はない。 こう言えば、そこに堅苦しさ、ある種の緊張感が感じられるが、藝妓には「しなやかさ」と匂い(香り)がある。 客のふざけた寄りかかりを、ハンナリと受け流す、やさしさもある。 それが京都の五花街から感じ取られる「優しさ」である。