鞍馬天狗

夢寐のたわごと

文字どおり、「徒然なるまま」

この系列の老人ホームに、十数年も、かこち顔で住み暮らしていると、様々な人生を見る。 決して自分を、神の位置に置いて、鳥瞰的に、巨視的に、移りゆき、流れてゆく世間を見守るのではないが、それが見えてしまうのである。

 

ある老婆は、おそらく、どこかの飲み屋の「女将」であっただろうがシャンシャンとした風情で、施設へ入ってきた。 暫らく経つ内に、この老婆、頭が少しづつおかしくなって行き、汚い布製のハンドバッグを中に3百万円入っているから、と抱えて廊下を彷徨く(うろつく)ようになった。 

 

この老婆と、ある席で隣り合わせで、食事をすることがあったが、この老婆、一見、格式ありそうな私に話し掛けるのを躊躇(ちゅうちょ)していた模様だったが、突然「旦那(だんな)ぁ!」と呼びかけてきた。 私は面食らった。 それまで、アメリカ人の友達や先輩、先生とは、ファーストネームで呼び合っていたから、ファーストネームで呼び掛けられるのには慣れていたが、日本人の同輩、知人らとは、「姓」で呼び合うのが普通だった。 それが、突然「旦那ぁ!」だ。 心中、私が、狼狽える(うろたえる)ことは、容易にご想像頂けよう。

 

その老婆、今は、老耄の域に達し、さして旨い物えを食わされているとも思えないのに、体ばかりデブって、心臓がパクパクしている模様だ。 ♬ 人生いろいろ、老婆もいろいろ ♬ よろしく、終焉を迎え(?)ようとしている。 しかし、思い重ねてみると、この老婆、間欠的に、施設の玄関先へ現れて、「帰りたい、帰りたい」を繰り返していたが、間もなく永遠の帰途に付くのではなかろうか?

 

駅の階段をスタスタと歩き登っていた90歳を越えた老爺が居た。 あるときなど、駅で待ち合わせることを約束して、気ばかり焦りながら、エレベーターに乗り込んで、漸く、待ち合わせの駅の改札口へたどり着くと、この爺さん、一人の若者と一緒に、既に、待ち合わせ場所にいる!  「これは、私の孫です。」

へぇ! 私にも、孫は居るけど、私はあんたのように元気じゃないよ。が、その爺さん、後日聞いたのだが、道端に倒れていた、そして、そのまま旅だった、とも聞いた。

 

♬ 人生いろいろ、男も、いろいろ ♬ だねぇ。 いろいろなのは、種類ばかりじゃない。 程度にも、いろいろがある。 人生の模様は、種類のいろいろばかりじゃなくて、長さ(寿命)のいろいろもある。 「明日ありと、思う心の仇桜、夜半に嵐のふかぬものかを(親鸞上人=起請文?)」を、熱心な真宗の教徒であった、親父からよく聞かされれた。

 

遠い昔の話だ。 その親父が旅立って、60有余年。 経つものは、日々に疎し。

我思う、(現に)故に我あり。 このデカルト(?)の思察も、解釈は、いろいろ。 俺が旅立つのも、いろいろだ。 105歳で亡くなった先輩、90歳を越えて、矍鑠(かくしゃく)と執筆に励む先輩。 先輩にも、いろいろ。 内閣総理大臣にも、いろいろ。 歌うたい(歌手)にも、いろいろ。 美空ひばりもおれば、島倉千代子もいる。