鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

デカルトに立ち戻って

点は、360度、どの方向へも向くことができる。 個は、点である。 我は、個である。 故に、我は個であり、点でもある。 然るがゆえに、我はどの方向へも向くことができる。 我の基盤は、主体性にある。 主体性は、すなわち我である。 「我思う、故に、我自らの方向を定む」。

 

我を失う事態は、避けねばならない。 方向を見失うからである。 方向を見失えば、行く先が見えない。 行く先が見えなければ、行動が危うくなる。 行く先を見通すのは、我である。 従って、我(主体性)を失えば、自らの行動(行く道)も危うくなる。

 

私は、少なくとも、自らの歩むべき道を発見して亡くなった幸せな3人の人を知っていると思う。 その内の一人が自らの口でそういうのをYou  tube の画像で見た。 この人は、歌謡の世界で自らの「天命」に気付いたらしい。 後の2人は、私の推定である。 この2人の内の一人も、歌謡界の人である。 

最後の一人は、現存の人であるが、作家(小説家ではなく、学者)で、その人の作品から、そのように推定した。

 

私自身は、残念だが、90歳近くなっているのに、いまだ自らの進むべき道を発見しているとは言い難い。 未だ模索中であるが、その内に発見できるものと、楽観している。 それでは、「とき既に遅し」の感がなくもないが、行く道が来た道といこともあるから、実感としては既に行くべき道を、辿って(たどって)いるようにも思える。 その意味で、道半ばといえよう。

 

人生は、我に始まり、我に終わる。