鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

老人ホーム内の小集団(2)

小集団といえども、その中には、まして、小集団連合の間にも、ヘゲモニーの存在が認められる。 つまり、リーダーシップである。 リーダーシップは、必ずしも、年の順ではない。 むしろ逆で、比較的年の若い、頭脳鮮明な老婆に帰することが多い。

 

この居住者、100人に満たぬ老人ホーム内では、全体のヘゲモニーとしては存在せず、むしろ、小リーダーたちの間の角錐(かくすい)として、観察される。 「あの人は、実は、再婚で、昔、介護して使えていた主人の亡くなった先妻の後釜に入った召使だったそうよ」、などと、誹謗とも、情報提供とも解らぬ、ゴッシップで角錐は実行される。

 

「そう、じゃ財産は、全部、先妻さんのものね、あの人は幸せだわ(?)。 ご主人は先日、亡くなったから」。 この様に、ヘゲモニーは、容易に揺らめく。


注1ヘゲモニー: 一般には覇権という意味で用いられるが,1920年代から 30年代におけるイタリアのマルクス主義者 A.グラムシとその後継者が展開した独特の概念を主としてさし示すことがある。 グラムシによれば,支配には強制と合意の2つの側面があり,合意による支配がヘゲモニーである。

 

「あの人は、廊下で会っても、頭一つ下げないのよ。 だから、私も、挨拶しないの」。 

 

どの老婆についても、余命は測り難い。 偶然(?)転がり込んだ財産にどれほどの意味があるのかも、知り難い。 しかし、羨むべきは、羨むべきである。 こうして話題乏しい老人ホームの会話に花が咲く。 特に、食後の団欒(?)が、そうなり易い。

 

「人間、万事、塞翁が馬」。 故事「明日ありと思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかわ(親鸞上人)」・・・・・南無阿弥陀仏。