鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

個人と機構(組織=システム)

アメリカ合衆国の独立。。。1789年。。。(中略)。。。1862年、保留地で飢餓状態となったミネソタ州のダコタ・スー族は暴動を起こし、鎮圧されて、リンカーン大統領の署名によって38人のインデアンの戦士が一斉絞首刑処刑された。 この処刑記録は、未だにアメリカ史の最高記録数である。。。(中略)。。。1869年最初の大陸横断鉄道の開通を皮切りに、次々に(諸産業がアメリカ西部へ進出した)。  南北戦争(1961年~1865年)の残務処理も終わり、アメリカは実質的にも精神的にも、国土が一つとなった。。。。(中略)。。。1860年代にジャクソン大統領は選挙権を拡大、民主政治が発達せしめた。 家柄にとらわれることなく政治家になれるようになり、この政策に賛成する親ジャクソン派は民主党を、反ジャクソン派はホイッグ党を結成し、後の共和党となった。。。(中略)。。。ジャクソン大統領は「インディアンは白人と共存し得ない。 野蛮人で劣等民族のインディアンは全て滅ぼされるべきである」と議会で演説し、その結果、議会は「インディアン移住法」を可決した。

Web辞書

 

個人の集合体である機構(=集団=システム)は、ややもすると、個人とは異なる行動を示すものです。 個人的には、親切で優しくあっても、組織(内では)は冷酷で、残虐であり得ます。 このことは、世界の何れの国においても言えることです。 上記の注記にあるように比較的若いアメリカの歴史を通じても窺われます。

 

幕末の頃、ジョン・万次郎という日本人がいました。 四国、高松の中浜村の人ですが、ある時、貧しい母と姉を残して、鯨とりの太平洋へ遠海漁業に出て、台風に会いました。 何十日間もの漂流の挙句、ある太平洋の小島に流れ着きました。 そこで、何日間も仲間と暮らしていましたが、アメリカ捕鯨船に救出されました。 若い万次郎は、捕鯨船のアメリカ人船長に見込まれて、アメリカ本土まで連れて行かれ、日本では寺子屋すらへも行けなかったのに、この船長の好意で、アメリカで航海術、天文学、を始め、いろいろな高等教育を受けさせて貰いました。

 

幕末にアメリカの日本の開国を迫る軍船に載せられて、帰国しました(彼の母は生きていて、再会しました)。 幕府高官とアメリカ人提督の開国交渉に当たって、通訳として活動しましたが、幕府役人たちは、「高知弁を話す田舎の漁師」の通訳を、アメリカの回し者だと受け止めて、容認しませんでした。 この人は、その後、正式に日本人と認められ、庶民の出で姓が無かったので、「姓」も出身地、中浜村の名にちなんで、「中浜」としました、 中浜万次郎の子孫は、その後、日本で生活していたそうです。

 

アメリカ人は、国家としては、建国後暫らく、「スー族、インデアン」を虐殺したり、西部のインデアンと追い詰めたり、戦時中は、滞米日本人の財産を没収し、かつ、捕虜収容所のようなリザベーションへ移住させたり、いろいろ差別的で、残虐なことをしましたが、個人としては、優しい宗教心の厚いクリスチャンでした。

 

私も、万次郎の例に漏れ無い恩恵をアメリカ人から受けました。 私は、貧乏な9人兄弟姉妹の末っ子に生まれ、9人の兄弟姉妹の中で誰一人高等教育を受けていなかったのに、私、唯一人、数人のアメリカ人たちに(老婦人、学者、友人、等)に助けられて(お金を出して貰って)、高等教育(大学院)まで受けることができました。 繰り返します。 個人と集団(機構、システム、組織)は違うのです。

 

集団になると、日本人もそうでしょうが、「赤信号、皆で渡れば怖くない」心理が、どの民族に於いても働くようです。 集団の(組織の、システムの)一員になると、個人的な気持ちとは関わりのない別の意識が働いて、残虐なことも、不道徳なことも、不信心なことも、平気でやってしまう傾向を人間は持っているようです。 どのような力が作用するのかを見つけるのは今後の社会心理学者の研究を待つべきかも知れませんが、私なりに考えてみたのですが、責任を異なる考え方へ「転移してしまう」ことが原因であると思います。 そうした「考え方の転移」を起こすように仕向けるのは、その時点で置かれた「状況・立場」であるように思えます。

 

そうした経験を私は、何度もしてきました。 身近な例は、数え切れないほどあります。 政府役人に限ったことではありませんが(民間の企業でも、本当にしばしば)、役目柄だとは思いますが、無理で、不条理と思われる処置を何度も受けたことがあります。 恐らく、その時、相手になった人は、個人的には、温かい、理解の有る、気持ちの優しい人であったのでしょうが、その人に、納得できい不条理な処置をされたことがありました。

 

古い例を挙げれば、飛っ拍子もない例だと思いますが、忠臣蔵がそのように思えます。 最初は、当時の幕閣の総代表将軍の勅使を歓迎すべき立場を「貶された?」、それとも、彼のその時の癇癖の故か、若い大名の命を即刻絶ちました。 引き続いて、47人の侍の命まで絶っています。 勝手な想像ですが、これは幕閣の役人や勅使を迎える将軍の役柄が、彼らをそうせしめたのだと思います。 これらの侍の「異常な死」には、多くの人が関わっている筈ですが、その中どの一人を取り上げても、個人的には、これらの若い侍たちを「殺したい」とは、思っていなかったと思います。

 

外国の例を挙げれば、アウシュビッツ収容所のユダヤ人虐殺もそうでしょう。 当時のドイツ人たちの一人一人を考えれば、どの人も宗教心の厚い、心優しいなクリスチャンだったと思います。 ところが、ユダヤ人を差別し、殺害したドイツ人たちは、ユダヤ人差別や殺害という行為を拍手を持って迎えているのです。 ベトナム戦争で多くの人たちを殺戮した現代のアメリカ軍人も、そうだと思います。 もちろん、日本人も、集団になるとそうするでしょう。

 

このような集団化が生み出す人間の心理的変貌は、愛国心、愛社心、愛郷心、などにも窺われます。 そして、いわゆる「確信犯」の行動にも見られます。 

注:かくしん‐はん(確信犯): 道徳的、宗教的または政治的信念に基づき、本人が悪いことでないと確信してなされる犯罪。 思想・政治・国事犯など。

(Web辞典)

確信犯は、例えば、「オウム真理教」に見られるように、集団化に基づくものではなく、「信念」に基づくものとされますが、確信犯は「結社」と言う団体を組んでいます。

 

その意味で、やや、飛躍しますが、昔も任侠、鳶の団体(組)ありました。 現代にもいろいろな会社があります。 ちなみに、昔の任侠の組も「社中」と呼ばれていました。 これらの「社」は、「信念」を定めて団体を組んでいるのですから、確信的犯罪を犯す可能性を強く持っています。 これらの団体や会社に通じることの一つとして、愛社心があります。         

注:社中(しゃちゅう)は、広義には同じ目的を持つ人々で構成される仲間や組織を指します。狭義では、茶道や華道、神楽などの同門の師弟で構成される活動の拠り所の最小単位を社中と呼びます。

(Web 辞書)

 

 

こうした事情もあって、愛社心に基づく歪んだ忠誠心に基づく務める会社への献身のために、最近、従業員が自殺する事件まで起こっています(某広告会社)。

この点を拡大すると、極めて最近に起こった相撲の世界の同国人同士が起こした、恐らく変形した、愛国心に基づく暴力問題も、その一つかと考えられます。

 

しかし、もっと頻繁に起っている日常の多くの企業団体の中で起こされていると思われる確信犯的犯行があります。 新聞、テレビで報じられているように、務め先の会社への忠誠心から、会社の社会的犯行を(経営幹部、社員・仲間ぐるみで)隠しているいろいろな最近の事件がそうです。  そういえば、国会・地方議員の中にも、「党」や「閥」を組んで、悪業を重ねるグループがいるやに報道されています。

 

集団や仲間の形成は、集団への忠誠(無言でも、心理的な圧力)を課し、その結果として、反社会的悪徳を生む恐れ有るので、大いに警戒しなえればなりません。 暴力「団」はもとより、「暴走族集団」、諸議会、諸産業会社、引いてはホールディングス、なども、悪徳行為を育む危険を孕んでいます。 こう考えを進めると「社会」そのものが、悪の巣のように思えますが、集団化が人間を狂わせるからです。

 

この問題を正面から取り上げて映画化した映画もあります。 最近の映画では、クリント・イーストウッド監督の「グラン・トリノ」や「チェンジリング」がそうです。 書物では、状況対応リーダーシップを唱導したポール・ハーシイ博士(著)の「Ethical Executive(未訳)(参考情報)」があります。