鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

老人ホームの幸せ条件 (年老いた自分の親や祖父母を預けられるか?)

全般

世間には、老人(高齢者)についての固定観念がある。 しかし、老人は一様ではない。 老人も、また生活する。 しかも、その生活の態様も一様ではない。 各人は、長い一生を通じて練り上げてきた自分なりの生活態様(習慣)を身につけている。 老人ホームは、この各種雑多な老度(生活態様=老熟度)を持つ老人を、一つの坩堝(るつぼ=容器)へ入れ、「味噌も糞も一緒にして」撹拌するが如き有様となる。 しかも、味噌にもいろんな種類があるように、糞にも種類がある。 「清濁併せて飲む」どころの騒ぎじゃない。 「汚・濁を併せて、一緒にして飲む」ことになる。

 

それぞれの老人は長い年月を経て、既に相当の生活習慣(つまり、生活のあり方=老熟度)が相当高まって(固まって)しまっている。 老人ホームでは、自立、要支援(重・軽)、介護、認知症患者、などの老熟度がある程度固まってしまった老人を撹拌するのであるから、撹拌機(施設・ヘルパーたち)にも、相当な抵抗が掛かる。 その固まった中を撹拌機を回すのだから、エンジンにも、圧力が掛かり、エンジンも焼け、破裂しないとも限らない。

 

介護付き有料老人ホームは、生活習慣=老熟度がある程度まで出来上がっている老人を寄せ(時に、掻き)集めて、介護する施設である。 一様に管理介護しようとしても、一筋縄では行かない。 かてて加えて、自立者、要支援(重・軽)を取り混ぜているから、各人の生活老熟度様々、好み様々、願望(希望)様々、体調様々、経営管理者の腕の見せ所となるが、その経営管理者の「腕」も様々である。

 

老人ほームに住む老人にとっては、最低、3つの条件が健全に満たされることが望ましい。 その3っの条件とは、物理的条件、生理的条件、心理的(文化的=社会的)条件である。 その他に入居契約を交わす際の付帯条件もあるが、まず、上に挙げた肝心の3条件について、考えてみたい。

 

物理的条件

施設内の条件:安楽・安心・安定の度合 ⇒ バリアフリー度、施設内、居室内の温度、風通し、清潔さ、匂い(臭い)、広さ、騒音、施設の庭の広さと景観等の審美度、など、また、付近(近傍)の条件:地理的状態(最寄り駅やバス停への近さ、道路整備の状況、坂道、階段の有無や道路の凸凹具合、散歩途中の休息所となる公園の有無)、など。

 

老人ホームを広告する場合、斡旋業者はもとより、施設そのものが、提供している物件を客集めのために魅力的に見せるべく、嘘ではないまでも、欠点を隠したり、表面的利便性や扱いの「良さ」を誇張したりすることがある。 例えば、最寄り駅より、6~8分とあっても:

  • その駅が施設までに急坂があって、最寄りの駅がその急坂の遥か下、または、上ということがある。
  • 駅が高架になっているのに、エレベーターやエスカレーターの設備がなく、老人は容易にプラットホームへはたどり着けない、と言った場合もある。
  • 駅まで6~8分が、健脚の若者の足でそうなので、老人の足では、到底駅に辿り着くことすらも覚束ない。 また、バス停まで、5~6分とあっても、そのバス停が崖の下や上にあるということもある。 遠回りして老人の足なら、3~40分でやっとたどりつけるところにバス停があっても、広告上は、バス停まで5~6分とされかねない。

関東地方の諸都県の場合、「台」、「丘」とつく地名のところは、足腰の弱い老人には到底歩いては行けない場所に老人ホームがあることが多い。 仮に、本当に交通利便なところにあるにしても、施設の前に交通の激しい中央幹線道路が走っており、ヨボヨボ歩く老人には、危険極まりないところであったりもする。

 

概して、足腰の弱い老人は、施設の中で毎日を過ごすことが多いが、施設内の遊具が揃っていることも、大切な生活の条件である。 なお、独り遊びの遊戯はともかく、遊戯には相手(他の人)が必要なものも多い。 この場合、相手とのコミュニケーションが問題になるので、この点に就いては心理的(文化的)条件のところで、詳しく考えてみたい。

 

更に、次の生理的条件でも指摘するように、老人は体力の衰え、老耄の進み具合、認知症、などの結果、起床中、就寝中に関わらず失禁するので、居住空間(自室)のみならず、(ドアが開いていると)ドアの外の廊下にまで、その入居者の居室に染み付いた悪臭が漂い出る。 夜中の失禁の始末をした(夜勤)ヘルパーが、他の人たちに隠すようにして、始末の後の物を廊下を持ち歩いているのを見ると、自然と不快感が湧いてくる。

 

生理的条件

老人には、老化のために(更には、生活習慣病などの病気のために)、体力の衰えている人が多い。 車椅子や歩行器を利用する人も少なくない。 中には、寝たきりの人もいるし、一見、健常に見えても、知力・体力共に衰えている人が多い。 更に、知力が残っていても、脳梗塞などのため、手(さらに、足)が正常に機能しなくなっていたり、話すことまで不自由になったりして自立した健常者との遊戯には加われない人もいる。 知能が劣化している人は、もちろん、他の人との普通の遊戯に加わることは出来ない。

 

老人ホームは、このような「劣化した」マイナス面のある人達との共同生活である(つまり、混住である)から、(有料老人ホームは例外なく、自立者=健常者、要支援者、高度の介護の必要な人の居住―従って、混住―を「恐らく金儲け=事業維持のため?=行政の推奨もあって、歓迎している)。 従って、老人ホームでは、通常の団体生活は望めない(この点については、文化的条件=社会的条件=心理的条件。の項で、詳しく考えたい)。 

 

介護付き有料老人ホームは、その名の通り「介護」を売り物にしている。 ところが、「介護付き」と称しているように、前述のように殆んど例外なく、自立者、軽度の要支援者を混住させている。 それどこか、認知症患者の入居については相談に応じるとしている介護付き有料老人ホームも多い。 

 

それでは、介護の焦点をどこに当てるあと言えば、もちろん多数に注目し、介護の基準を手間の掛かる重度の被介護者当てざるを得ない(事実、騒いだりするので、傍迷惑になるのを防ぐため、世話せざるを得ないケースもままある)。 

 

老人ホームに親や家族を預けるには、当然、それなりの理由がある。 しかも、「有料」なので、敢えて特段の理由のある人、例えば:家族(家庭)では面倒見きれない、家庭では抑えきれないほど暴れる、家族の他のメンバーと反りが合わない、病身で特別に手数が掛かる、などの人たちを預ける。 入居者が、いわば傷物や家庭の厄介者であったり、家庭(家族)の方に問題があったりするケースが極めて多い。 その意味では、昔の姥捨て山をリネームして、老人ホームとした感(観)がなくもない。

 

従って、勢い、老人ホーム居住者の割合は、問題児、傷物(厄介者)、が多くなる。 それでなくとも入居者たちは、認知症の進み易い高齢者である。 施設側(ヘルパーたち)の関心(手間、努力)は、こうした増加する「傷物」に向けられる(向けざるを得ない)。 老人ホームの側でも、「有料で」預かっているのだから、傷物を優先せざるを得ない。

 

事実、夜中、自分の床の中で、小用を漏らす老人も多いから、夜勤ヘルパーが、居住者の小用に追い回されて、健常居住者のヘルプまでは手が回らないこともしばしば起こる。 入浴についても、傷者(車椅子に乗った身体障害者、自分で自分の身体を洗えない老耄の年寄り、入浴が危険だと思われるほど足元が危うく、しっかリしない老人、など)の扱いが優先する(優先させざるを得ない)。

 

「多数が、少数を支配する」原理が、ここで働く。 同じように、料金を払っていても、自立者は「自立出来る」のだから、放って於いても、問題は起こさないし、「倫理的に言っても」起こしてはならない。 従って、ヘルパーたちの関心は、既に入居してしまっている問題児(傷物)や増加する認知症患者に向かって払われることになる。 結果的に、傷物も、正常物(健常者)も一視同仁に扱われる。 つまり、払っている料金に関わりなく「味噌も糞も一緒」に扱われるわけだ。 その結果、自尊心のカケラを残す健常者にとっては、失礼だと思われる事件も起り易い。

 

やや先を急いで飛躍するが、老人ホームは、増え続ける高齢認知症患者のために往時の「キチガイ病院化」しつつある。 

 

病院と言えば、評判の悪い食事に、病院食がある。 老人ホームの食事も、その例に漏れず、退けは取らない。 いわゆる、「高齢者向きの食事」:骨を抜いて柔らく煮た魚、塩分控えめの(薄味?)料理、餅が入ってない雑煮、焼いてない焼き魚、塩の効いていない「塩焼き魚」、等々。 このような高齢者向きの食事は、概して健常な食欲の混住自立者の味覚には、そぐわない事が多いので、健常者からの苦情が絶えない。 

 

しかも、老人ホーム(混住の団体生活)では、配膳や調理(料理作成)、および管理の都合もあるので、居住者が食堂で一堂に会して、同一時間に食事することが普通になっている。 もちろん、自立者、傷者(物)、味覚障害者、気の弱い苦情を申し立てない者(施設では、しばしば、サイレントと呼ぶ)に与える料理を区別することは、事業経営上、経営管理上、実際的ではないから、ここでも一視同仁(味噌も糞も一緒)の弊害が起こる。

 

老人ホームでは、自立者、傷者(物)=異常者が「混住」しているから、中には、場所、時間の見境なく、突然大声の「奇声」を発する人もいる。 また、配膳の都合もあり、座席が指定されていることも多いから、所定の席に座らない為に、入居者間に諍いが起こることも少なくない。 ましてや、「嫌いな人」、「肌の合わない人」、「口臭のする人」、「食事中、口角泡飛ばして喋る人、等の席の傍や隣、前に座席が与えられるなど、老人ホームでは、旨かろう食事を不味く食わせる条件が、数限りなく揃っている。

 

それどころか、食事中に、他の人の目の前で入れ歯を取り外ししたり、入れ歯を茶で洗浄したり、音高らかに含嗽(うがい)をする不届き者がいたりする。

老人ホームの食事は、「不味い」、とされる理由は、食材、調理法だけではないのである。 老人ホームの食事時は、正に、百鬼夜行の有様になる。

 

心理的(社会的=文化的)条件

世間では、「人間関係」が大切だなどという。 しかし、それは人間同士の間の 話である。 自立者(健常者)や軽度の要支援の人たちの間はともかく、重症介護必要者、老耄の人、認知症患者が混住する集団では、人間関係、いや社会そのものが成立しない。 そこあり得るのは、自立者や軽度要支援者からの重症介護必要者、老耄の人、認知症患者への「哀れみ」、「憐憫」、「労り」、「軽蔑」、「軽侮」、「怒り」である。 そんな世界に「人間関係」が成立するはずがない。 ましてや、「文化」などあり得ない。 あっても「憤怒」と「軽蔑」のみである。

 

「混住」を前提とした老人ホームでは、厳密な意味での正常な社会は営み得ないから、遊戯のあり方も制約される。 特定の限られた、既にその遊戯に熟達している入居者の間でのみ、特定の遊戯を行なうことが出来る。 例えは、麻雀が認知症予防に有効であると言われているが、そもそも、たとえ初歩であっても、麻雀は、認知症患者に出来るゲームではない。 既に、麻雀が出来る人が、麻雀で遊ぶのは、正に「予防」の域を出ない。 その意味で、「予防」を唱えるのは、既に「麻雀狂」になっている証拠であり、「麻雀をやりたいが為のお題目」に過ぎない。

 

このように考えてくると、老人ホームにおける「諸悪の根源」は、「混住」にあることが判る。 土台、社会のメンバー足り得ない人々を「味噌も糞も一緒にして」団体生活をさせようというのだから、「臭う」のも当然である。 事業者(経営者=施設)の方は、「儲け」が先行するから、味噌でも、糞でも、お金を払ってくれるなら掻き集める筈である。 元々、事業というものは、慈善事業でない限り、金が目当てなのである。

 

こうした「混住」を認め、奨励(?)する行政の姿勢が疑わしい。 高齢者が増えている今日、早急に、解決すべき問題であると思う。