鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

覚悟

 

「悟」を「覚(おぼえる))のが、「覚悟」である。  人間、誰もが自分の「死」を恐れ、自分の「誕」を喜べない。 「誕」を喜べないのは、自分が「未だ」存在しないからである。 「死」を恐れるのは、「未だ」死を知らないからである。

 

人生は、「行路」である。 出発した時(生誕の瞬間)には、「意識」を持っていなかったし、終わる時(死の瞬間)には、意識が薄れている。 生誕を喜べないと同様、死を恐れる必要もない。 どちらの場合も、「自分の意識」が、明らかでないからである。

 

キリスト教徒は、「自分の死」を天にまします神の御元へ行く(帰る)と受け止め、仏教徒浄土真宗)は、「弥陀」の世界(極楽浄土)へ行くと受け止めて、知らない世界のことは、大きな懐へ自分を委ねる。

 

死を恐れおののくのは、「生きている自分」である。 「始」の前にも、「終」の後にも、自分は存在しないから、喜ぶこともなければ、悲しむこともない。

「生きている」ことに、恐ろしさがあるので、喜怒哀楽、全て、「生」の為せる「業」である。 

 

生きる事を恐れよ。 清廉に生きよ。 悪い生を避け、善い生に親しめ!