鞍馬天狗

夢寐のたわごと

腹膨るる技(わざ)

旨いものを食う。 と言っても、何が旨いかは、人それぞれに、好き嫌いがあるから、簡単には、「旨い」ものとはいえない。 腹が膨れるだけなら(病気や妊娠で腹が膨れるのは別として)、食物さえあればよい。 尤も、

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吉田兼好兼好法師)著「徒然草」第19段に、「物言わぬは腹膨るる技(わざ)なり」とあるから、何も食わなくても、黙っているだけで、腹が膨れることもある。

・・・・・・・・鉄道大臣

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腹を膨らせるだけなら、何を食って可能である。 しかし、ここでは、庶民の手が届く食物に話を絞ることにする。 もちろん、庶民とは誰かという主題から逸れた話は別に考えるとして、庶民とい者の認識が理解出来ているという前提で、話を進めるが、庶民の手の届く範囲内の「旨い」食物と絞ってですら、話は、ややこしくなる。 繰り返しになるが、好物は人それぞれと言ってしまえば、やはり話はそれまでになるが、珍味や「いかもの」はともかく、万人が認める庶民にとって「旨いもの」にしたいから、話は、それに絞ることにする。

 

日常、口にすることの出来ない、比較的高価な食品・食材となると、年に一度や二度、祝い事でもあるときにしか口することの出来る旨いものなら、庶民の手に届かない訳でもない。 これをもう一段,格を下げて、月一度、いや週一度ぐらいなら、口にすることが出来る「旨いもの」となると、まんざら夢物語でもない。 

 

しかし、特別に老人ホームという特殊な制約(監視=介護、有料=予算限度付き、厨房=料理器具上、料理人の技能上の制限)のある場合を採り挙げれば、

庶民という制約以上のものまでが付いてくる。 例えば、入れ歯=総入れ歯、病人=腹を壊しているなどの理由のため、魚は「骨抜き」、「餅は警戒・注意」、おむゆ、雑炊優先、等の範囲内での「旨いもの」となる。

 

また、老人ホームという集団生活では、管理、調理の都合上、一堂に会して、同時刻に食べるのが普通であるが、その食堂におけるいろいろな障害(食物を口に入れたまま喋りまくる人物の近くの席、口臭や体臭の強い人物の傍の席、ボケて尋常な会話の出来ない人物の傍の席、耳が遠いくせに補聴器を付けない人物の隣の席、食事中入れ歯を出し入れ洗浄する人物の傍の席、等々)も食事の「旨さ」に関係する。 さらに、食事の器具(使い古して塗りがとこどころろハゲている味噌汁椀、縁がところどころどころ欠けている食器、等々)や提供される料理自体の配置、並び、見栄(みば)、なども「旨い!」という感覚に影響する。

 

このように話を展開してくると、「旨い」は、実は、文字通り「実に」難し問題なのである。 このような理由もあって、どの老人ホームに於いても、入居者たちは、「腹膨るる技」を(物言わぬという意味で)かこっている。

 

因みに、私の友人で、老人ホームの管理に当たっていた人は、食事に関して、何も苦情を述べないで、モクモクと食べている入居者を、サイレントと呼んでいた。 考えてみると、サイレントな入居者たちも、「旨い!」とは思わないまでも、腹だけは、膨れていたのだな。