鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

師を凌ぐ

人は、真似る。 そして成長する。 真似るは「学ぶ」の語源である。 母と先人が、学ぶことの「師」になる。 学ぶには、母と師を真似るのである。 

 

子は、母を真似る。 母は、子を育てる。 母は、子を育てるに当たっては、真似るに適切な師と環境を選んで、与える。 孟母三遷の所以である。

 

だが、真似る者は、師を凌駕し得ない。 人は、母をも凌駕し得ない。 母は敬うのみであり、師を真似る者は、学ぶのみである。 師を凌駕し、母を超える者は、自らを律することの出来るものであり、自律する者は、自発できる者であるが、自発出来る者は、真似るを要しない。 自発出来る者とは、自己の主体性を確立し、維持している者である。 

 

人は、「真似る」を経て、主体性を確立する。 主体性こそ、成熟する人間の出発点である。 師を凌ぐには、主体性の確立が前提になる。 主体性の確立、保持、回復、が自発、自律のよりどころになる。

 

先のオリンピックのスピード・スケーテイングで、日本選手は、金メダルを獲得した。 しかし、スピード・スケーイング発祥の地は、土地の多くの部分が海水面より低いため冬場になると、道路が凍て付くので日常的に人々が氷上をスケートするオランダだと聞いている。 日本人は、オランダよりスピード・スケーテイングを教わった。 今年、オリンピックで金メダル(頂点)に到達した。 もう真似る師は居ない。 後は、真似られるのみか? 自ら進むか?

 

私が住む老人ホームに100歳近い殆んど喋らない老婆がいる。 2年程前、この老婆が私の故郷と同じ土地の有名な神社の傍で生まれ、育っていると聞いたので、懐かしく思ってその神社のことについて訊ねてみた。 彼女は、すっかりボケていた。 

 

ところが、今日、この自分で歩くことも出来なかった老婆が、ホームの中央のラウンジで自分がずぅ~と乗せられていた車椅子を自分の手で押して自分の部屋へ戻ろうとしているのを見た。 そう言えば、この口数の少なかった老婆が、ヘルパーの一人と、先日、言い合っているのを見た。 この100歳近い老婆も回復し、自律性を取り戻しているのだ。 

 

そう言えば、このホームには、真似るに足る健常老人も何人かが住んでいる。 他方、この老婆の傍には、ここ暫くの間だが、少し年齢の下のボケた車椅子の老婆が2人程置かれて来ている。

 

人は、真似るにも、師を選ぶようだ。 だが、自立すれば、自らの手で、師を選ぶ。 師は、近くにいる。 いろいろな形で、師は手近に存在する。 師を見つけるのは、もはや、母でもなければ、師でも無い。 自分だ。 

 

日本は既に、自発している。 日本の近隣諸国の中には、日本を真似ようとする国々も少なくない。 「追いつき、追いつかれ」の時代が、始まっている。

誰もが、師を凌駕しようとしているのである。 従って、日本も既に自発していることに足りていてはならない。 自発に続くものは、日本の主体性に根ざした創造であり、革新である。