鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

いなせ

注1:「いなせ」は「いき」とともによく用いられるが、これは江戸後期に流行した「鯔背銀杏(いなせぎんなん/いなせいちょう)」という髪型に由来する。 魚河岸などの江戸職人や侠客が履いた鼻緒の長い鯔背足駄(いなせげた)と共に、短気で喧嘩早い若者が好んで使った。 三遊亭圓朝の落語『塩原多助一代記』では「刺繡(ほりもの)だらけの鯔背な哥々(あにい)が」と言ったように、いなせはいきとともに江戸市中の気っ風(きっぷ)を表す言葉として定着した。

遊船唄の『佃節』では「いきな深川、いなせな神田、人の悪いは麹町」と唄われている。

・・・・・・・(Web 辞書)

 

かく言う私は、レッキとした京都生まれの京都育ちの京都人である。 いなせ(鯔背)なんて感じは、知ろう筈がない。 しかし、言葉だけは知っている。 イメージとしては、寿司職人を思い浮かべている。 それも「握り」の職人で、「箱」の職人じゃない。

 

いや、イメージとしては、寿司屋や小料理屋なんかで、少しキコシメシタ若者が、金を払って「釣りや、イラネよ」と景気良く、のれんをハネて出て行く兄さんの姿がそれである。 アメリカ映画西部劇で言ってみれば、「テンガロン・ハット」を被ったガンマン(例えば、ジョン・ウエインやゲーリー・クーパー)が、酒場を「Keep the change」と言い捨てて立ち去る、あの姿である。

 

Keep the changeと言うにしても、「釣りや、いらねえよ」と恰好をつけるにしても、頭の中では、ささっと上げた釣り銭の額は、3ドルぐらい以下と速算している(江戸風の兄さんなら¥500以下と計算している:こんな勘ぐりをするから京都人はやっぱりケチや)に違いない。 チマチマと、一円の果てにまで拘る(こだわる)精神は、いなせな兄さんには無い。

 

人生、万事、金次第なんて不心得な考えを持つ奴には、Keep the changeのいなせ精神は判らない。 そもそも、関西は、金の世界。 その第一は、大阪や。

なんでも、大阪は大きゅうドン!と行きまっせ。 京都は、「始末、始末」とケチ様々。 京都の始末(ケチ)の精神は、石門心学に由来する。

 

石門心学 とは・・・ 正直 倹約 勤勉、「三徳」の実践!

注2:石門心学とは・・・丹波の国(現在の京都府亀岡市:現京都市に隣接)の農家の次男として生まれ京の商家で奉公した、石田梅岩八代将軍吉宗の治世の1729年(享保4年)京・車屋町御池上がる東側の町家で「講席」を開いたことに始まる。 この席であるべき人の道を説いた「教学」が石門心学です。 当時の世相は商業の発展と共に急速に貨幣経済への進展が進む中で商人(町人)の富裕化が進みましたが、その時のバブル景気が崩壊した元禄年間以降は封建体制(士農工商)にも陰りが見えはじめ、農民はおろか四民の長たる武士階層の生活困窮も進み、都市では牢人(無職武士)と農村からの農民の流入で溢れていました。 その一方で富裕を誇る商人たちの行動や生活、その「商人道徳」に対して厳しい批判が噴出した時代でした。・・・(Web辞書

 

ケチ礼賛の陰には、貧乏に喘ぐ(あえぐ)大勢の庶民たちが居た。 窮民救済(布施・恵み)も、いま一つの大事な旗印だった。 寺社仏閣の多い京都の町では、死んだ亡き人たち、無縁仏に対する施餓鬼会(せがきえ)すらも行われていた。

 

注3:施餓鬼とは、餓鬼道で苦しむ衆生に食事を施して供養することで、またそのような法会を指す。 特定の先祖への供養ではなく、広く一切の諸精霊に対して修される。  施餓鬼は特定の月日に行う行事ではなく、僧院では毎日修されることもある。 日本では先祖への追善として、盂蘭盆会に行われることが多い。 盆には祖霊以外にもいわゆる無縁仏や供養されない精霊も訪れるため、戸外に精霊棚(施餓鬼棚)を儲けてそれらに施す習俗がある、これも御霊信仰に通じるものがある。 また中世以降は戦乱や災害、飢饉等で非業の死を遂げた死者供養として盛大に行われるようにもなった。 水死人の霊を弔うために川岸や舟の上で行う施餓鬼供養は「川施餓鬼」といい、夏の時期に川で行なわれる。

・・・・・・・・(Web辞典)

 

近頃は「京都、京都」と喧しい(かしましい)が、京都にあるものは、寺社仏閣の「荘厳」、五花街の「華麗」ばかりじゃない。 京都といえども、人々の集まる処。 石川五衛門もおれば、人々が吐き出す汚物もある。 京都に憧れるのは、荘厳、華麗ばかりじゃなく、泥棒、汚穢、汚濁に惹かれることでもある。 京都には、千年近くに渡って、人々が暮らしてきた。 長い間の喜怒哀楽の歴史も篭っている。 

 

京都に住むのは、公家、藝妓、ばかりじゃない。 貧乏人も、あざとい金持ちも居る。 公家、藝妓、貧乏人、金持ちの別に関わりなく、飯も食えば、お下も流す。 人臣の頂点太政大臣の位に昇り詰めた平清盛も、京の街々を荒らし回った大盗賊、石川五右衛門安土桃山時代に実在)も京都人。 皆んなが、一様に「京都人」。

 

その点に付いては、江戸の町も変わらない。 

 

遊船唄の『佃節』でも「いきな深川、いなせな神田、人の悪いは麹町」と唄われている(前出)が、皆んなが江戸っ子だ。

 

その昔、京都が平安京と呼ばれた頃、平安京中央を南北に貫く朱雀大路(現

千本通)の南の端は羅城門と呼ばれた。 昔は「羅門」と記したが、近代になって羅生門と表記されることが多くなっている。 歌舞伎なら、この羅城門(南禅寺の門?)の楼上で、石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな~」とでも叫んだだろうし、芥川龍之介なら、死んだ女の髪を抜いて売り物にしようとする老婆を襲って、生きるための糧を得ようとする下人を描いただろう。

 

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注4:  「講釈師見て来たようなウソを言う」: 昔の話、他所の話は、たいていの場合、書き手は、描かれている(語られている)場面に、自身が居た(存在した)訳ではありませんから、話を作ります。 物書(ものかき)や作家、ブログの書き手は、全て「講談師」の仲間です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(鉄道大臣)

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京都には、貧乏人もいたが、祇園で遊興する金持ちもいた。 金持ちの楽しみは、花街での豪遊・散財、寺社仏閣での「布施」であった。 花街での遊びも楽しいが、「布施」もまた楽しい。 布施は、持たざる者に対する「優越感」を味わせ、「持っている」という「所有感」を実感させる。 「Keep the change」と言い捨てる「いなせ感」、「優越感」は、堪えられんねぇ。 ガンベルトから、さっと連発ピストルを引き出し、相手を制圧する恰好良さ。 江戸っ子ならでは、の「感覚」は、布施する気持ちにも繋がっている。

 

自動車に、大型車・小型車の別があるように、布施にも、大散財、小散財の別がある。 差し詰め、Keep the changeは、中型車。 この日本の国にも、昔から、「寸志」、「心付け」、「お愛想」、「気持ち」、相手が子供なら「お駄賃」というものが有るように、西洋にも「チップ」がある。 近頃は、チップもやらずにタダで他人に仕事をやらせようとする不埒な者もいるようだが、チップのような「恵み」は、全て、恵む側の者の自尊心を喜ばせる。 恵める(恵み得る)ことは、楽しいことだ。