鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

チップの心理

玄関先の逆光の為よくは見えなかったが、「どうぞ、お気にならないでください。ほんの気持ちですから、」と言う声が聞こえた。 見ると、良くは分からなかったが、ご大家の隠居らしい小柄な老婆が、頭を下げている。 それに対しているのは、明らかにこの施設の職員の一人であった。 後で聞いたのだが、この老婆は、某経済学博士のご老母であったそうだ。

 

「気持ち!」。 懐かしい言葉だ。 近頃は、こんな風に「気持ち」という言葉を使う人は減った。 昔は、同じように、「心づけ」、「寸志」、「祝儀」、などと言ったし、花街や料亭では、「お捻り(おひねり)」、「花(代)」、「紙ひねり」など、子供や丁稚(丁稚)相手なら、「お駄賃」、「ご苦労賃」などとも言った。

近頃は、タクシー運転手や「¥1,000ヘヤー・カット店」で、客になった乗客や散髪後の子供に、「飴玉」をサービスに呉れる運ちゃんや散髪屋もいる。

 

私は、子供者ころ、「お駄賃」を貰うのが、大きな楽しみだった。 おそらく、貰う子供にとって楽しみだったばかりでなく、祝儀を与え側にとっても、感じの良いことだったと思う。 祝儀を「与えること」は、当人が意識するとしないに拘らず(かかわらず)上から目線の行為である。 当然、優越感を伴う。

 

たとえ少額であっても、他人に物品や金を「施す(ほどこす)」ことは、施す(ことの出来る)喜びを伴う。 昔は、「布施(ふせ)」とも言った。 神や仏(お布施)を通じて、金を持つ者(大尽)が、貧しい者(や死んだ者、餓鬼道に苦しむ者に与える「施行」や「施餓鬼」は、為すべきことと考えられていた。

 

壮年の頃の病気のため、いまは記憶の大部分を失っているが、私は、家族を伴って、2年弱ではあったが、ニューヨークに在住したことがある。 NY在住中は、仕事上の都合から、世界の各地を飛び回ったことを、朧気(おぼろげ)ながら覚えている。 その時、何処へ行っても「チップ」で悩まされたことだ。

「どれくらいの金額?」、「どんな時に?」、「だれに?」が悩みの種だった。

 

寸志やお駄賃、チップは、高額である必要はない。 唯、日頃の人と人との交流を捗らせる(はかどらせる)潤滑油として機能するだけで良い。 社会心理学のサブ分野に「寸志心理学」なり、「お駄賃心理学」なりが、存在するかどうかは知らないが、世のお大臣たちの為の「賄賂心理学」、「着服心理学」があっても良いのではないかと思う。