鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

タクシーを運転する老婆

昨日、短い距離だったが、タクシーに乗った。 驚いたことに、運転しているのは、老婆だった。 自分の娘が、50歳を越えているので、この運転手の白髪交じりの頭髪の後ろ姿を見ていると、相当の歳の「老婆」だとよく分かる。

 

興味を惹かれたので、運転をよく見ていると、「安全運転」である。 しかも、電信柱の多い比較的狭い道を、スイスイと運転してゆく。 しかし、私が棲んでいる老人ホームに到着する時になって、「新米だ」と思わせる事態が起こった。

タクシーのドアーを、ホームの玄関側に向けて止ないで、逆向けに止めた。

この老人ホームの居住者は、頻繁にこのタクシー会社のタクシーを使うから、「慣れた運転手なら」車を止める位置を逆にすることはない。

 

ともあれ、どのような家庭の事情があるのかは知らないが、これくらい老齢の女性がタクシー運転を職業にすることは、私の知る範囲では、極めて稀である。

昔風に言えば、「荒くれ男」が職業とした「籠舁き(かごかき)」がタクシー運転の業である(現代のタクシー運転には、昔の籠舁きに要したほどの膂力「りょりょく」は必要ではないが)。 その仕事を年老いた女性が職業として行っているのは、珍しかった。

 

男女同権といえば、それもそうだが、「同権」というのは、そもそも、「基本的人権」に関わるもので、何も彼もについて男女が同権だと主張するのは、間違っている。 ナースは、看護「婦」である方が、柔らか味や優しさが感じられ、「夫」であったり「師」であったりすると、ゴツさや固さが感じられて、宜しくない。 他方、一様に、タクシー運転は、「男の仕事」、「若者や壮者の仕事」と決めつけるのも、宜しくない。 「老婆のタクシー運転手」がいても、安全に運転できるのなら、悪かろうはずがない。

 

人には、「得手・不得手」というものもある。 人は、元来、それぞれ違うものである。 そこに「個性」が生まれる。 老婆がタクシーを運転するという例外を歓迎はしはするものの、「同」を一様に(例外なしに)人に当て嵌めようとするのは、自然の道理に反する。