鞍馬天狗

夢寐のたわごと

Performance (日本語の文化と英語の文化)

 

研究社 新英和中辞典での「performance」の意味

 

名詞

1、 可算名詞 上演演奏演技興行パフォーマンス.

2. 可算名詞 出来栄え成績実績.
3。 不可算名詞 (機械の)性能.
4・ 不可算名詞

Aすること行なうこと実行履行 〔of〕.

B儀式などの執行挙行 〔of〕.

5 [a performance] 《口語
Aみっともないこと.
B人騒がせなこと,めんどうなこと.

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英語のパフォーマンスは、日本語の「実演」、「演奏」、「行路」、「遂行」、「過程」、「道筋」に近い意味持っていると思います。  これらの言葉を比較すると、日本語の方にいま一つ足りないものがあるように感じられます。 

日本語の「実演」、「演奏」、「行路」、「道筋」、「プロセス」には、「動き」や「行動」が、英語に置けるほど、顕著では無いのです。 「動き」の静止画を見るだけで、「動き」そのものを見ているようではありません。

 

これは、必ずしも、わざと、行動や動きの少ない日本語を選んで比較した故ではないと思います。 「仕草」、「振り」など、動きを表す日本語を選んで比較してみても、これらの日本語は行動の「形」や「型」など、静止した動きにに焦点を当て、「動き」そのものの躍動への繋がりが弱いように感じられ、やはり英語の「パフォーマンス」という言葉が持つ「能動性」は感じられません。 

 

企業などで言う「人事考課」、「業績評価」のことを、英語(英米の企業)では、「パフォーマンス・アプレイザル」と言います。 端的に言えば、英米では「動き」を考課しているのです。 それに対して、日本の企業では「人事」や「業績」など、静止したものを評価しています。 「人事」の評価は論外でですが、「業績」についても、一考の余地があります。 「業」はともかく「績」は、結果という静止したものの評価であり、しかも、績には、別の問題があるからです。 「績」は、往々にして、偶然(運)に依るところが大きいのです。

 

では、なぜ英語のパフォーマンスと日本語の「実演」、「演奏」、「行路」、「過程」、「仕草」などとの間には、「能動的な動きの欠如」が感じられるのでしょうか?  それは、この言葉が使われてきた「使い方の過去の履歴」に依るように思われます。 別言すれば、言葉の「使われ方」が、言葉の意味に影響するということです。

 

言葉使いは、「文化」のあり方で決まるところが大きいと思いますが、英米の過去の文化、そして彼等の国、彼等の民族の現文化のあり方が、彼等の言葉に「能動性」を植え付けていると思われます。 その意味で、言葉は文化の鏡だといえます。 日本の「陰影」に富む、「しっとり」とした「潤いのある」湿った文化は、日本語の豊かさ、芳醇さ、を育んでいます。 

 

感覚的に言うと、英語は乾いており、日本語は湿っています。 英語には、表面しか無く「薄ペラに」感じられますが、日本語には裏表(厚み)が感じられます。 英語は率直で、正直ですが、日本語は、嘘や「ごまかし」の可能性を秘めており、顔で笑っても、心で泣く「腹」の大きさが感じられます。

 

日本語に感じられる言葉の厚みを「悪用」する政治家、事業家、などが多いようにも感じられます。 言葉の厚み。言い換えれば、幅の広さ、そこから来る曖昧さ、を悪用して、「言い逃れ」、「ごまかし」、「意味のすり替え」などを、公衆の面前で(議会や印刷物として)、シャアシャアと行います。

 

さらに、漢語、その他の外国語、古語、が比較的自由に使えることから可能になる日本語の利便性を使って(一般にあまり知られていない表現を使かうので言葉の厚みが増したように感じる)、大衆を誤魔化す政治家、事業家が多くなります。 実際、政治家や事業家の「言訳」、「弁解」、「説明」、「主張」を聴いていると、「静止画的な」物が多いことに気付きます。 「動く」弁舌が少ないのです。

 

若手の国会議員の弁舌を聴いていると、「躍動感」に満ちたものが多いのも、特徴的です。 彼等は、静止していません。 こころ強い限りです。 これからの日本人(若者)は、「動く」アクテイヴな人種、民族でありたいものです。