鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

人生の発想の転換 (総論)

人生、100年が語られるように成ってきた。 人生観の枠組の基本が変わってきたのである。 このことは、未曾有の「社会革命」の到来を意味している。 例えば、従来から、固定された「老人観」が存在した。 背を曲げ、杖を突き、トボトボと歩く老人が、それであった。 そうした固定観念に準拠して、行政は、例えば、次のように高齢者(老人)を定義している。

 

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人口統計における区分[編集]

各種公的機関が行う人口調査では、64歳以下を「現役世代」(5歳以下を乳幼児、6~14歳を児童、15~34歳を青年、35~64歳を壮年)、65~74歳を「前期高齢者」、75歳以上を「後期高齢者」と区分している[4]。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(ウイキペデイア)

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この固定された老人観の老人は、何歳ぐらいであろうか?  70歳? およそ、そんなところだろう。 役人たちが定義する「後期」の入り口である。 しかし、枠組が100歳へ伸びている。 役人に考えた「後期」は、むしろ「中期」である。 発想の転換が必要になっている。 役人が主導する「改革」は、常に「後追い改革」である。 「泥縄改革」である。 

 

最近(2018年)の傾向を見ると、80歳前半が区切りの一つで、この年令で多くの(著名)人が死んでいる。 この事実に鑑み、一つ提案をしたい。 つまり、85歳以上の人を「超高齢者」と定義するのである。 これで、従来からの老人に対する固定観念を打ち破る突破口が一つ出来る。

 

さて、従来の高齢者に対する(行政の定義を含めた)固定観念は、数々の不便、不条理、を生み出してきているが、その一つの例が、老人の就労を困難にする社会的諸ルール、仕来りである。 行政は、老人の働きたくとも、働けない世間の仕来りを是認し、時に「法」として設定しているのである。 

 

これは、良く考えれば、おそらく、老人を「労ろう(いたわろう)」とする気持ちからだろうが、これの悪しき面は「保護過剰」である。 俗に言う「面倒の見過ぎ」で、これでは、老人を「柔に(やわ)」にしてしまう。 老人でも「自稼(じか=自分で稼ぐ)」が可能であるのみならず、自稼が「普通・通常」だと感じられる世間の風潮を形成する必要がある。

 

なるほど、老人は、体力が衰えている。 しかし、知力に於いては必ずしも、そうではない。 年の功、ということもある。 場合に依っては、老人の知恵が役立つこともある。 「座学(ざがく)」という言葉があるが、「座業(ざぎょう)」があっても不思議ではない。 身体を使わなくとも、頭を使えば仕事はできる。 「寝業(しんぎょう:【ねわざ】とは読まない)」があるかどうかは、今後のIHなり、AIなりの進歩を待たねばならないが、可能性としては残る。

 

完全自動運転の自動車の研究が進んでいる。 文字通り「口先一つ」で操縦が出来る自動車ができれば、オフイスへの出勤も無理ではない。 いや、出勤しなくとも、「自家勤務」も不思議ではなくなる。 職場仲間とのやり取りや職場会議、上司との命令授受は、写真(動画)入メール・電話・通話で済ませれば良い。

 

老耄(ボケ)が気になる? 気にしなくとも良い。 若ボケも沢山いる。 過剰老人介護が無くなれば、老人たちもシャンとするし、シャンとし易くなる。 何しろ、人生が100歳まで伸びているのだから。