鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

人生の発想の転換(D) (座業・人材開発=老人党異聞)

人生、100年が語られるように成ってきている。 人生観の枠組の基本が変わってきているのである。 このことは、未曾有の「社会革命」の到来を意味している。 従来は、固定された「老人観」:背を曲げ、杖を突き、トボトボと歩く老人が存在した。 このような固定観念に基づいて、行政は、次のように老人(高齢者)を定義している。

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人口統計における区分[編集]

各種公的機関が行う人口調査では、64歳以下を「現役世代」(5歳以下を乳幼児、6~14歳を児童、15~34歳を青年、35~64歳を壮年)、65~74歳を「前期高齢者」、75歳以上を「後期高齢者」と区分している[4]。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(ウイキペデイア)

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日本の各地に授産所(場)が、行政に依って設置されている。 その設置根拠は次の通り。

設置根拠[編集] 生活保護法第38条 保護施設

授産施設は、身体上若しくは精神上の理由又は世帯の事情により就業能力の限られている要保護者に対して、就労又は技能の修得のために必要な機会及び便宜を与えて、その自立を助長することを目的とする施設とする。

設置基準 第27条:授産施設は、利用者に対し、作業を通じて自立のために必要な指導を行なわなければならない。 授産施設を設置できるのは、都道府県、市町村、地方独立行政法人社会福祉法人日本赤十字社に限られる(生活保護法40,41条)。

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授産所(場)は、上記の設置根拠の説明を見れば判るように、行政の「お情け」により、設置されるものである。 虚弱者を保護、助成するための施設であり、自立した老人、高齢者に対するものではない。 ストレッチされた寿命の時代の一人前の大人に対するものではなくて、国民を見下した行政(お上)が下される恩恵である。

 

行政の目、世間の目が、85歳を超えた働き得る「超高齢者」へ行き届いていないのである。 そう言えば、ある生命保険会社の広告にも、「80歳超えても加入出来る」を謳いながら、85歳以上の「超高齢者」の加入を認めていないものがある。 これはいうまでもなく、「羊頭狗肉」である。 保険会社の商人根性、商人勘定が、そうさせるのだろうが、そのことに併せて、ストレッチされた寿命の可能性に着眼できない「迂闊さ」にも理由がある、とも考えられる。

 

足腰の弱った人たちにも、為し得る仕事には、いろいろなものが有る。 専ら、「手仕事」が、そうした仕事として数えられている。 しかし、見落としてはならないのは、「頭仕事」である。 ここでも、「年の功」、「老人の知恵」の重大さ・重要さを指摘したい。 まして、IT産業、AI産業:広く言って「知恵・知識産業」、サイバー攻撃防衛、インターネット取引、など、数えきれない可能性が、残っているからには、「老人の知恵と技術」が活用出来る可能性を見落としてはならない。 

 

必要なら、老人にも分かる言葉と説明で、そして老人にも利用できる施設で、老人にITを教えれば良い。 老人にITを学んでもらえれば良い。 老人にITを研究してもらえば良い。 老人の才能の開発の可能性は、十分に残っている。 伸びた人間の寿命の伸び代(のびしろ)は、未開発の資源である。 今日では、人手不足が問題なのではなくて、人材活用の工夫不足が問題なのである。

 

老人の健康を促進させ、維持させるのは良い。 その上で、伸びた健康寿命の活用を考えるべきである。 が、「小人、閑居して不善を為す」と言う。 器の小さい小者が暇になると、悪事に走る恐れがある。 老人、必ずしも、小者ではないが、常人でも命が伸びて、為すことがない(為さない)と、不善を犯さないとも限らない。 不善は、現在の小人議員が盤踞(ばんきょ)する国会で十分である。 ここに、老人党結党必然の所以がある。

 

リンク=関連記事➡鉄道大臣のひとりごと(老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと)

2018-02-24投稿 老人党異聞 (Tetsudodaijin@gmail.com