鞍馬天狗

夢寐のたわごと

人生の発想の転換(E) (人手不足)

 

人生、100年が語られるように成ってきている。 人生観の枠組の基本が変わってきているのである。 このことは、未曾有の「社会革命」の到来を意味している。 従来は、固定された「老人観」:背を曲げ、杖を突き、トボトボと歩く老人が存在した。 このような固定観念に基づいて、行政は、次のように老人(高齢者)を定義している。

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人口統計における区分[編集]

各種公的機関が行う人口調査では、64歳以下を「現役世代」(5歳以下を乳幼児、6~14歳を児童、15~34歳を青年、35~64歳を壮年)、65~74歳を「前期高齢者」、75歳以上を「後期高齢者」と区分している[4]。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(ウイキペデイア)

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行政のやること、なすこと、碌なことはない。 見当違いの「後手、後手」の「泥縄」対策。 見当違いの最たるものは、2018年(平成30年)4月に始まる目白押しの主要食料品価格値上げ、それに加えて高齢者の保険料負担の増額、高齢者の年金の据え置きと減額。 企業・行政、両者が協力(強力)して、折角伸びた人生の「伸び代(のびしろ)」の活用を考えるどころか、伸び代の上前撥ねに腐心している。 その反面で、「人手不足」を嘆いているが、嘆くべきは、彼奴らの知恵不足、配慮不足、工夫不足である。

 

100歳までの延命で得られる老錬の力の伸び代は、未開発の人的資源である。 老人の健康寿命を願うなら、事のついでに、健康寿命の活用法の工夫も図るべきである。 健康な老人の数は多い。 「老人閑居して、何を為す?」 何も為さないのなら、健康延命の意味がない。 新しい命の誕生を喜ぶのは、もちょろんだが、隠れたレディ・メードな老練の手を見逃すべきではない。

 

保育士不足が、叫ばれている。 反面、孫の面倒見を「喜び」「楽しむ」老婆の数も多い。 不幸な子どもたちの養子縁組を申し出る健康老人も居るぐらいだ。。 問題は、健康老人たちに子供の面倒を見て喜び、楽しむ為の「手づる」と「資金」、「機会」が無いことだ。  高い税金を徴収する「行政」に、そのような

 

「手づる」と「きっかけ(機会)」を手配してやる気持ちと工夫があれば、 伸びた長生き人生と余暇をもてあまして、かこっている健康老婆たちの手が、世の中の役に立つ。

 

老々介護の悲惨さが、嘆かれている。 しかし、その反面、健康を楽しむ老人も多い。 老々介護で苦しむ老人たちを横から助ける「手づる=システム」と「資金」、そして「機会」を、健康老人たちに与えれば、老人たちの「共済活動」も可能である。 しかし、この国には、そのような共済のシステムを構築する、資金も気持ちも無い。 

 

一方で、「予算がない」と言いながら、他方で、森友学園の為に「神風を吹かせ」、国民に無断で数億円を値引きして国有地を売り払うゆとりがあるのなら、行政は、その金は老人が持つ老練力の活用に使うべきである。 誕生から終末にいたる100年に渡る生涯は、どの部分もムダにせず、活用すべきである。

 

上役の気持ちを推し量り、忖度(損得=そんとく)に腐心する諸悪徳大臣、悪徳議員、悪漢官吏に与える金が有るのなら、その金は健康老人活用のシステム構築に使うべきだろう。

 

リンク=関連記事➡鉄道大臣のひとりごと(老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと)

2018-02-24発表 老人党異聞 (tetsudodaijin@gmail.com