鉄道大臣のひとりごと

老人ホームで過ごしながら徒然に考えたこと

姑(しゅうとめ)

私は、姑(姑)には成れない。 舅(しゅうと)にはなれる。 しかし、15年近くも老人ホームで「寡夫」暮らしをしていると、姑の気持ちが判るような気がしてくる。 始めの頃は、病気であったから、私の老人ホーム暮らしは全部で20年近い。 その長い人生の後半を通して、「嫁」にしたい、「婿」にしたい奴らには、あまり巡り合っていない。

 

なんと言っても、私が棲んできた系列に属する老人ホームの何箇所かの施設(いくつかの施設の間を移って居るの職員(ヘルパー、他)等は、「極めて気が効かない」。 「気付かない」と言っても良い。 痒いところへ、手を届かせない。

「痒い」と言っても、孫の手を持ってくる機転が効かせないのである(せいぜい持ってきても、「たわし」ぐらい)。 要するに、「馬鹿、阿呆、タワケ、ダラ(け)」なのである。 「気は、心という」が、少しでも、「心付け」をやろうかと思える程の奴がおれば良いのだが、それが「おらん」。 

 

私は、元気な頃、ある大企業の「企業内教育訓練」の責任者をしていたことがあるので、その経験に基づいて、此奴らを「扱いて(しごいて)」みたいとも思うが、「シゴキ甲斐」のない奴等ばかりである。 叱咤激励(しったげきれい)するだけの値打ちが感じられないのである(叱咤激励は、イカンから褒めてやれ、とおっしゃる向きもあるかも知れんが)。 

 

ともかく、叱るにしても、褒めるにしても、それだけの値打ちが感じられないのである。 企業内教育訓練に於ける箴言めいた言葉で、「相手が知らないのは、あなたが教えなかったからだ」というのがあるが、教えようにも、相手がまず何も「知らん」。 知らんどころか、自分が「知らん」ことすらも知らん。 まるで、自分が忘れたこと自体を忘れる認知症患者である。

 

一頃、「忖度(そんたく)」という言葉が話題に登ったが、「忖度」が目下の相手に勝手に推量させておいて、忖度を受けている方は「知らん顔」が出来る、という厚かましい姿勢を示しているのに対し、「斟酌(しんしゃく)」は、目上の者が、目下の者の事情を慮って(おもんばかて)、「出来ることはしてやる」という優しい姿勢を示していることを知らん奴が、職員の中に多く居た。 

 

このような奴等に、こちら(つまり、金を払って入居している入居者)の方「斟酌」して、あれやこれやと指示したり、教えたりするのは、あほ(ばか)らしい。 姑が、気の効かない嫁に腹をたてるのも、宜なる(むべ)なるかな。

 

嫁が姑の意向を忖度せんのに、姑の方が嫁の気持ちを斟酌してやるのは、話が逆である(尤も、嫁としては、そんな優しい姑が欲しいだろうが)。 同様に、入居者が老人ホームの職員たちに腹を立てるのも、頷けよう。 施設のハードウエアは、専門家(?)の苦心の成果だろうから、概して入居者にとって便利、快適にできている。 

 

しかし、ソフトウェア(つまり、職員、ヘルパー、たち)の方がイカン。 イカンどころか、報道によると「ソフトウエア」ならぬ「ラフウェア」も存在するらしい。 「硬い(ハード)な方は、物理的態様なので、積極的に悪さはしないが、「ラフウェア」は、入居者の取扱がラフで、「殺し」までする。 我が老人ホームでも、「ラフ」までは行かなくとも、「いけず」程度の取扱はする。

 

入居者が、職員を「扱く(しごく)」のは、まだ頷けるが、職員が入居者をしごくのは、これまた話が逆である。 上級兵が新兵をしごく事は、良くあったが、その逆はなかった。 新兵をしごいて、「使える」ようにするのは、来るべき戦闘に備えてのことだが、その意味で、シゴキは「いけず」とは違う。

 

シゴキは、どちらかと言えば「鍛える(きたえる)」に近い。 と言って、「パワハラ」ではない。 ましてや「いじめ」であろう筈がない。 施設側でも、老人ホーム入社採用直後のオリエンテーション・トレーニングで、「善き嫁」たれるように教育(研修)しているのだろうが、その善き嫁候補者が居ないのだ。

 

「相手が知らないのは、あなたが教えなかったからだ」とする企業内教育訓練の箴言をここで当てはめると、「職員が良い嫁にならないのは、入居者が、しごかなかったからだ」となるが、施設側に扱くに足るだけの人材が居ないのだといえる。 

 

こうなってくると、舅の出番になる。 ところが、入居者の中には、「小姑」が多くても舅に値する人物が少ない。 元々、老人ホームは、「わけあり」の人たちを集めるところだから、老人ホームの食事に骨のある魚が出せないのと同様「骨のある舅」が少ないのが、普通であるし、「骨の折りよう」もないのである。